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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 『王子製紙社史. 第1-4巻, 附録篇』 【王子製紙社史編纂所, 1956】

会社名

王子製紙株式会社 [Oji Seishi Kabushiki Kaisha]
Oji Paper Co., Ltd.

書誌事項

王子製紙社史. 第1-4巻, 附録篇 / 成田潔英著
 [東京] : 王子製紙社史編纂所, 1956-1959
 5冊 ; 22cm
 Title in romaji: Oji Seishi shashi

外部機関の所蔵データほか

NDL-OPAC 1,2,3,4,5 / Webcat / 神奈川県立川崎図書館 1,2,3,4,5 / Worldcat 1,2,3,4,5 / NDL Search (β) / Webcat Plus 1,2,3,4,5,6 / Googleブックス 1,2 / 社史ウィキ

関東大震災」(1923年9月1日)に関する本文の概要 (3巻p120-127)

  • 芝新幸町の事務所は火災で焼失。藤原銀次郎社長が帝国ホテルに部屋を借り、3日から事務を再開。
  • 元役員で樺太工業社長の大川平三郎樺太出張中に震災の報を聞き、現金5万円を用意して急遽帰京。
  • 東京の製紙会社と特約販売店のほとんどは焼失したが、丸の内にあった三菱、九州、中央の各製紙会社と樺太工業の事務所は火災と震災の被害を免れ、洋紙供給は滞らなかった。
  • 王子製紙、富士製紙、三菱製紙北越製紙の工場は損害が僅少で、間もなく運転を開始することができた。
  • 官営の印刷局抄紙部の木造家屋は無事だったが、重要機械類のあった煉瓦造建物は皆倒壊した。
  • 東京の業者所有の洋紙類の多く(770万円相当)は焼失したが、住友倉庫、渋沢倉庫等の一部は焼け残り、在庫の洋紙を供給できた。
  • 米国紙及びパルプ協会から日本製紙聯合会宛に6日付で鄭重なる見舞い状が届いた。

目次にあらわれた「関東大震災」関連事項

項目ページ
第五篇 社礎確立前後時代前期(次明治四十五年至大正十五年) / 第二章 大王子への発足と満州進出 / 六、 大正九年の恐慌と関東大震災第3巻118
  [二、関東大震災の善後策]120
    [一、藤原社長の震災対策]120
    [二、大川平三郎の対策と決意]123
    [三、関東大震火災と紙業界]125
      [一、製紙会社及び販売店の被害状況]125
      [二、東京附近の製紙工場]126
      [三、印刷局抄紙部の震害]126
      [四、火災に罹った洋紙類]126
      [五、米国製紙協会の同情]127
写真目録
  53 大正十二年九月一日の大震災による浅草仲見世の惨状122
  54 大震火災で焼失した芝区新幸町の王子本社125
  55 震災で焼失した明治二十年代建築の富士製紙本社126

年表にあらわれた「関東大震災」関連事項

年月日内容年表種別
1923(大正12)年9月1日関東大震災により王子、十條両工場建物に多少の被害を受け、全抄紙機運転不能 東京出張所類焼当社関係
1923(大正12)年9月1日関東大震災(死者九万九千、行方不明四万三千人)一般事項
1923(大正12)年9月3日東京出張所を帝国ホテル内に設く当社関係
1923(大正12)年9月22日王子工場、修理完成の分より運転開始当社関係
1923(大正12)年9月24日十条工場、修理完成の分より運転開始当社関係
1923(大正12)年9月富士製紙本社、小倉製紙、北越製紙出張所焼失 博進社、服部、大倉、岡本、柏原、川島、中井等各洋紙店焼失 印刷局抄紙部倒壊業界
1923(大正12)年10月4日東京出張所仮事務所を日本工業倶楽部内に移転当社関係
1923(大正12)年11月4日東京出張所仮事務所を郵船ビル内に移転当社関係
1923(大正12)年11月十条工場、震災による修理完了当社関係
1924(大正13)年6月王子工場、震災につづく改築工事完了当社関係

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