書誌事項
日本電気株式会社百年史. [本編]・資料編 / 日本電気社史編纂室編
東京 : 日本電気, 2001.12
2冊 ; 29cm
Title in romaji: Nihon Denki Kabushiki Kaisha 100-nenshi
外部機関の所蔵データほか
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「関東大震災」に関する本文の概要 (本編p82-86, 115-129)
[関東大震災と電話・通信事業の新たな展開]
- 1923(大正12)年の関東大震災では、東京の中央電話局と13の交換局が全焼、8万3千個の加入電話のうち5万3千個が失われた。東京では8日間電信電話が途絶し、行政機能の麻痺が続いた。
- 電話需要は震災後も衰えず、高額の開通料にも関わらず予定の10倍以上の申し込みがあった。財政緊縮のなか、電話拡張計画がたてられた。
- 東京と横浜の電話施設復旧が進む中で、自動交換機の導入がはかられた。
- 震災により災害時でも有効な無線通信が高く評価され、その後本格的に始まったラジオ放送が新しい情報媒体として普及していった。
[震災後の日本電気の経営]
- 米国ウェスタン・エレクトリック社との合弁会社で国内最大の通信機メーカーの日本電気は、多くの工場が震災で全半壊し、社員105人が圧死。被害総額は約167万円。震災の34日後には生産再開、しかし復旧需要を全て自社内生産はできず、8割近くを海外の関連会社からの供給でまかなった。
- 震災後の通信機業界は電話交換業務自動化とラジオ放送開始という変化を受け、日本電気はこの影響で自動交換機とラジオの受注が増大した。
- 逓信省向けの自動交換機は日本電気より外国製品の割合が大きかったので、国産品増加が目ざされた。震災後生産能力の減少で従業員の解雇があり、待遇を巡った労働争議も起きた。
- 電話拡張計画が恐慌等の影響で縮小したので日本電気の受注も減少し、人員整理が実施された。外資が過半の日本電気は政府の国産化奨励策から除外されていた。逓信省は圧倒的シェアを持つ日本電気以外の国産メーカーの育成を目指していた。
目次にあらわれた「関東大震災」関連事項
項目 | ページ |
---|---|
第2章 事業の拡大と国産化技術の形成(1914〜1931年) / 第1節 第1次世界大戦ブームから昭和恐慌 | 78 |
3. 関東大震災と電話・通信事業の新たな展開 | 82 |
関東大震災 | 82 |
電話拡張計画の改定 | 83 |
自動交換機の導入 | 83 |
ラジオ放送の開始 | 85 |
第2章 事業の拡大と国産化技術の形成(1914〜1931年) / 第3節 関東大震災と震災後の経営 | 115 |
1. 関東大震災の発生 | 115 |
震災と日本電気 | 115 |
三田工場の復興と工場拡張 | 116 |
2. 自動交換機と放送機の国産化 | 117 |
自動交換機の輸入 | 117 |
自動交換機の国産化 | 118 |
ラジオ放送機の国産化 | 119 |
3. 関東大震災後の経営 | 120 |
販売動向と日本電気製品比率の低下 | 120 |
関東大震災のころの従業員 | 122 |
1924年の争議 | 123 |
岩垂邦彦の会長就任と大畑源一郎専務 | 124 |
4. 国産化奨励のもとでの苦難 | 125 |
ITT社とISE社 | 125 |
ISE社と日本電気 | 126 |
第3次電話拡張計画の終了と需要減少 | 128 |
国産化奨励と日本電気 | 128 |
索引にあらわれた「関東大震災、地震」関連事項
項目 | ページ | 索引種別 |
---|---|---|
海底地震観測システム | 896 | 事項索引 |
関東大震災 | 80;82〜85;115;117〜124;130;149;810 | 事項索引 |
地震観測ネットワークシステム | 896 | 事項索引 |
年表にあらわれた「関東大震災、地震」関連事項
年月日 | 内容 | 年表種別 |
---|---|---|
1923(大正12)年9月1日 | 関東大震災により工場の半ばが倒壊、殉職者105人 | 経営一般 |
1923(大正12)年9月1日 | 関東大地震発生 | 社会一般 |
1923(大正12)年9月 | 関東大震災により、京浜地区の電話網壊滅、通信途絶 | 業界関連 |
1924(大正13)年7月 | 関東大震災の倒壊工場の再建に着手 | 経営一般 |
1938(昭和13)年2月 | 三田の新第5工場完成(関東大震災後に始めた再建新工場建設計画完了) | 経営一般 |
1964(昭和39)年6月 | 新潟地震、死者26人 | 社会一般 |
1972(昭和47)年12月 | ニカラグア(マナグア)大地震 | 社会一般 |
1972(昭和47)年12月 | ニカラグア(マナグア)地震に際し日本電気納入のマイクロ波通信回線が全て稼働、地震報道に貢献 | 経営一般 |
1976(昭和51)年2月 | グアテマラ大地震 | 社会一般 |
1976(昭和51)年2月 | グアテマラ大地震に日本電気納入の交換機、マイクロ回線ともに無事稼働、地震報道に活躍 | 経営一般 |
1978(昭和53)年7月 | 海底地震常時観測用機器を気象庁に納入 | 製品技術 |
1985(昭和60)年9月 | メキシコ大地震、死者8,000人を超える | 社会一般 |
1995(平成7)年1月 | 阪神・淡路大地震発生、死者6,000人を超え、電話28万回線不通 | 社会一般 |
1995(平成7)年8月 | 平塚沖光ケーブル式海底地震観測システムを科学技術庁から受注 | 製品技術 |
1995(平成7)年10月 | 三陸沖海底地震観測システムを東京大学地震研究所から受注 | 製品技術 |
「社史紹介」へのリンク
- 社史紹介「に」
〔渋沢栄一記念財団 実業史研究情報センター / 社史プロジェクト〕
http://www.shibusawa.or.jp/center/shashi/shasi_na.html#02