会社名
浦賀船渠株式会社 [Uraga Senkyo Kabushiki Kaisha]
書誌事項
浦賀船渠六十年史 / 浦賀船渠株式会社編
東京 : 浦賀船渠, 1957.06
628, 26p, 図版70p ; 27cm
Title in romaji: Uraga Senkyo 60-nenshi
外部機関の所蔵データほか
NDL-OPAC / Webcat / 神奈川県立川崎図書館 / Worldcat 1,2 / NDL Search (β) / Webcat Plus / Googleブックス 1,2,3
「関東大震災」に関する本文の概要 (p208-220)
- 1923(大正12)年の震災で東京本社は無事だったが、浦賀と横浜では機械工場等が全焼し、焼け残った工場も地盤変動のため据え付け機械や建物に相当の損害があった。しかし震災当日の午前中に駆逐艦早蕨の進水を終え、駆逐艦早苗も直前に船渠から出していたので、震災時に船渠に船は無かった。
- 損害補てんのため資本金をとりくずした。復旧作業のほかは休業とし、9月末までモラトリアムが施行されたので、賃金のかわりに米券を発行した。10月からは賃金の6割を支給した。10月末に浦賀町との親睦と士気振興を兼ねて小学校敷地で浦賀町民合同の運動会を開いた。
- 震災後の復興工事用の造船をかなり受注したが、大型商船の受注は極めて少なかった。艤装中であった青函連絡船2隻は翌1924(大正13)年無事に竣工した。就航後の成績は良好で、以来引き続き建造注文を受ける基礎となった。
目次にあらわれた「関東大震災」関連事項
項目 | ページ |
---|---|
第五編 戦後不況時代 / 第二章 関東大震災 | 208 |
一 当社の損害 | 208 |
二 震災損失金の填補 | 211 |
復旧工事と給料減額 | [213] |
駆逐艦早苗と運動会 | [215] |
三 震災前後の新船工事 | 215 |
青函連絡船の建造 | [218] |
海外派遣 | [219] |
年表にあらわれた「関東大震災、災害」関連事項
年月日 | 内容 | 年表種別 |
---|---|---|
1923(大正12)年9月1日 | 関東大震災、浦賀工場、横浜工場被害甚大、被害損失額三、九五四、〇五〇円〔5編2章1節〕 | |
1923(大正12)年9月7日 | *モラトリアム実施〔5編2章2節〕 | *一般事項 |
1923(大正12)年11月15日 | 臨時総会開催、大震災による損失補填のため、資本金七〇〇万円に減少を仮決議、同年ご一月六日本決議〔5編2章2節〕 | |
1947(昭和22)年4月7日 | *労働基準法、労働者災害補償保険法公布、同年九月一日施行〔8編5章6節〕 | *一般事項 |
「社史紹介」へのリンク
- 社史紹介「う」
〔渋沢栄一記念財団 実業史研究情報センター / 社史プロジェクト〕
http://www.shibusawa.or.jp/center/shashi/shasi_a.html#03