会社名
東宝株式会社 [Toho Kabushiki Kaisha]
[Toho Co.,Ltd]
関東大震災時(1923年)の社名:帝国劇場株式会社 [Teikoku Gekijo Kabushiki Kaisha]
書誌事項
帝劇の五十年 / 帝劇史編纂委員会編纂
東京 : 東宝, 1966.09
255p(図版共) ; 26×27cm
Title in romaji: Teigeki no 50-nen
外部機関の所蔵データほか
NDL-OPAC / Webcat / 神奈川県立川崎図書館 / Worldcat 1,2 / NDL Search (β) / Webcat Plus / Googleブックス 1,2,3
「関東大震災」に関する本文の概要 (p178-185)
- 帝国劇場では1923(大正12)年の震災当日は女優劇の初日で、舞台稽古を午前中にすませ夕刻の開演を待つばかりのところだった。横河民輔設計の建物は地震でびくともしなかったが、隣の警視庁も火災となり風下の帝劇は夜には焼けてしまった。当時500人近くいた帝劇の所属員のうち、2名だけが犠牲となった。
- 震災の報が海外に伝わると、かつて帝劇に来演したジンバリストら芸術家から見舞いの電報や書状、そして海外で開いた義捐演奏会の収益が帝劇や日本政府に寄せられた。帝劇では帝国ホテル演芸場を借りうけ、11月にはハイフェッツのヴァイオリン演奏会から興行を開始した。客席は満員の盛況であった。
- 劇場のうち、震災で焼け残ったのは新宿の大国座と麻布の南座くらいだった。帝劇では横河民輔に復興工事を依頼する一方、専属俳優を地方巡業に出したり、帝国ホテル演芸場や麻布南座を借りて自主興行を行った。しかし全員を抱え込むことはできず、専属俳優は一応全員解職し、2〜6ヶ月の手当てを支給した。
- 1924(大正13)年10月には120万円の工事費をかけた新しい帝劇が誕生した。等級別の座席を簡素化し1階席2階席とし、客席内部は地味に渋く、廊下と休憩室には華麗な装飾を施した。
- 帝劇再開のコケラ落としは大倉喜八郎男爵の米寿祝い貸し切り公演で、梅蘭芳(メイ・ランファン)が来日出演した。
目次にあらわれた「関東大震災」関連事項
項目 | ページ |
---|---|
帝劇五十年の歩み / その一、 創立から関東大震災まで | 153 |
関東大震災で焼ける | [178] |
ジンバリスト氏らの好意 | [179] |
帝劇五十年の歩み / その二、 震災後から“松竹経営”まで | 182 |
麻布南座公演と昼夜二部制 | [182] |
改築成った“大正帝劇” | [184] |
帝劇再開場に梅蘭芳再来 | [185] |
年表にあらわれた「関東大震災」関連事項
年月日 | 内容 | 年表種別 |
---|---|---|
1923(大正12)年9月 | 関東大震災おこり、帝国劇場、有楽座、歌舞伎座、市村座、新富座、明治座など大劇場焼失。 | 欄外 |
1923(大正12)年9月 | 第二次山本内閣成立。震災地に戒厳令発令。 | 欄外 |
1923(大正12)年11月 | 11月かち翌年6月まで、帝国劇場の興行は、帝国ホテル演芸場、報知講堂、麻布南座を使用して行う。 | 欄外 |
「社史紹介」へのリンク
- 社史紹介「と」
〔渋沢栄一記念財団 実業史研究情報センター / 社史プロジェクト〕
http://www.shibusawa.or.jp/center/shashi/shasi_ta.html#05