1876年佐久間貞一らは活版印刷の秀英舎を設立、渋沢栄一の援助で製紙会社東京分社印刷工場の印刷機械を借用して操業しました。第一国立銀行内にあったこの東京分社印刷工場は後に独立し、星野錫らの発起で東京印刷となりました。
*枠色と「栄」アイコンについて
渋沢栄一が直接関わった会社 | |
上記の事業を継承あるいは名称が変遷した会社 | |
それ以外の会社 |
- 社名変遷図 : http://www.shibusawa.or.jp/eiichi/companyname/079.html
- 典拠資料 : http://www.shibusawa.or.jp/eiichi/companyname/079_auth.html
- 変遷図の見方 : http://www.shibusawa.or.jp/eiichi/companyname/howto.html
渋沢栄一の関わり
渋沢栄一関連会社名(社名使用年) | 栄一の関わり |
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秀英舎 (1876〜1894) | 援助 |
東京印刷(株) (1896〜1942) | 株主、相談役 |
関連する社名変遷図
- 製紙業 〔商工業:紙パルプ〕
http://www.shibusawa.or.jp/eiichi/companyname/001.html
関連エントリーほか
- [社史紹介(速報版)] 『大日本印刷株式会社史 : 七十五年の歩み』 [復刻版] 【ゆまに書房, 2003】
http://d.hatena.ne.jp/tobira/20090729/1248837992 - [今日の栄一] 1887(明治20)年3月27日 (47歳) 大川平三郎と星野錫を米国に派遣 【『渋沢栄一伝記資料』第11巻掲載】
http://d.hatena.ne.jp/tobira/20090327/1238118965