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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 【北海道】 渋沢栄一、ビール会社設立を支援 【『渋沢栄一伝記資料』第11巻掲載】

1887(明治20)年 12月28日 (47歳)
是より先栄一、浅野総一郎等と共に麦酒会社を設立せんとし、是月二十四日札幌麦酒醸造所所有者大倉喜八郎と同場譲渡の約定を結び、北海道庁長官岩村通俊に会社設立の出願を為す。是日許可せられ翌二十一年一月会社成立す。栄一委員長たり。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 1部 実業・経済 / 3章 商工業 / 9節 麦酒醸造業 / 2款 札幌麦酒株式会社 【第11巻 p.347-362】

一企業の隆盛よりも産業全体の発展を重視していた渋沢栄一は、海運紡績などでも競合する複数の会社を同時に支援したように、麦酒醸造業でも競合する二社の経営を同時に支援しています。1885(明治18)年創立のジャパンブリュワリー(現・麒麟麦酒)には創立当初から出資、同社株主理事員を務めながら、1887(明治20)年には開拓使麦酒醸造所を継承した札幌麦酒の経営に委員長として携わり、設立当初の両社をそれぞれに支援、麦酒醸造業発展に尽力しました。
1894(明治27)年に札幌麦酒の会長に就任した栄一は、1896(明治29)年にはジャパンブリュワリーの理事員を辞任しましたが、その後も麦酒業界は順調に成長しています。札幌麦酒は1903(明治36)年に東京・吾妻橋に工場を新設、1906(明治39)年には日本麦酒、大阪麦酒と合併し、大日本麦酒株式会社へと生まれ変わります。合併後の大日本麦酒でも栄一は1909(明治42)年まで取締役として関与しています。
今日サッポロファクトリーレンガ館として公開されている煉瓦作りの建物は、札幌麦酒の前身である開拓使麦酒醸造所時代からの明治の息吹を今日に伝えています。

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