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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 『鐘紡百年史』 【鐘紡, 1988】

会社名

鐘紡株式会社 [Kanebo Kabushiki Kaisha]
[Kanebo, Ltd.]
関東大震災時(1923年)の社名:鐘淵紡績株式会社 [Kanegafuchi Boseki Kabushiki Kaisha]
[Kanegafuchi Spinning Co., Ld.]

書誌事項

鐘紡百年史 / 鐘紡株式会社社史編纂室編
 大阪 : 鐘紡, 1988.10
 1086p, 図版10枚 ; 27cm
 注記: Title in romaji: Kanebo 100-nenshi ; 印刷: 凸版印刷 ; 表紙に社章の型押し ; 表紙クロスは自社製品 ; 題字は伊藤淳二会長 ; 年表: p1037-1079 参考文献: p1082

外部機関の所蔵データほか

NDL-OPAC / Webcat / 神奈川県立川崎図書館 / Worldcat 1,2 / NDL Search / Webcat Plus / Googleブックス 1,2 / 社史ウィキ 1,2

関東大震災と復興」に関連する本文の概要 (p154-157)

  • 積極経営を推進して兵庫に工場を建築した鐘紡では、中興の祖と言われる武藤山治社長の下で従業員の福利厚生を重んじる施策を創設していた。また大正期には事業を多方面に拡大しつつあった。
  • 1923年の関東大震災で鐘紡では東京本店工場と社宅のかなりの部分が倒壊し、機械や原綿・製品も被災した。また従業員から60名近い死傷者がでた。震災発生直後から避難民が千住方面に長蛇の列をなし、鐘紡は直ちに工場廊下屋根下を解放して収容所に提供した。
  • 武藤社長は工場復旧より社宅復旧を優先させ、各支店から応援者を投入し秩序の回復に努めた。死傷者と遺族には特に手厚く処遇した。また現金、食糧、縮緬浴衣、布団などを[政府に]寄贈し、慰問袋や簡単服を作って罹災者に配給・販売した。更に2か所に公衆浴場を建設し1年間無料で公開した。
  • 350万円にも及ぶ被害状況は新聞紙上で株主に報告した。

目次に表われた「関東大震災と復興」関連事項

項目ページ
沿革編 / 第二編 武藤山治時代(明治二十七年〜昭和五年) / 第十一章 伝統的労務管理への布石
    一、 注意書制度の採用119
    二、 鐘紡共済組合の創設121
    三、 科学的操縦法と精神的操縦法127
    四、 事務所・営業所と工場150
    五、 関東大震災と救災活動154
 第十二章 大正期・繊維多角化と大陸進出
    一、 新増設事業158
    二、 紡績資本の集中・集積進む164
    三、 淀川工場建設の経緯165
    四、 大陸への進出172
    五、 絹業立国179
    六、 絹糸紡績181
    七、 絹布183
    八、 製糸業への進出186
    九、 南米拓殖(株)の創設193
    十、 昭和産業(株)の足跡196

年表にあらわれた「関東大震災と復興」期の事項

年月日内容年表種別
1923(大正12)年9月1日関東大震災発生//東京本店被害甚大=第一工場全壊、死者一〇名負傷者四四名、損傷錘数三〇、四四〇錘、損害額三五〇万円当社事項
1923(大正12)年9月1日関東大震災による紡績の被害九〇一千錘に達す(全国錘数の二割)業界・一般事項
1923(大正12)年9月2日戒厳令公布(一一・一五まで)業界・一般事項
1923(大正12)年11月公大紗廠西工場(紡績)操業当社事項
1924(大正13)年2月11日武藤山治従五位に叙せらる当社事項
1924(大正13)年3月生糸市場大暴落業界・一般事項
1924(大正13)年4月4日公大第五廠第二工場操業当社事項
1924(大正13)年4月12日淀川支店第三工場(捺染)操業当社事項
1924(大正13)年4月16日公大第五廠第三工場操業当社事項
1924(大正13)年5月10日武藤山治衆議院議員に当選当社事項
1924(大正13)年7月1日度量衡法改正、メートル法実施業界・一般事項
1924(大正13)年12月山科理化学研究所竣工当社事項
1924(大正13)年武藤留之助、ムターゼ発明当社事項
1924(大正13)年飛田三郎「更生絹糸」の製造法発明当社事項
1924(大正13)年大阪心斎橋に鐘紡製品陳列所を開設当社事項

「社史紹介」「社名変遷図」へのリンク