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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 【東京】 平岡工場、汽車製造合資会社 【『渋沢栄一伝記資料』第12、53巻掲載】

 鉄道の整備に尽力していた渋沢栄一は、輸入に頼っていた鉄道車輛を日本国内で製造するための車輌製造会社の設立も支援していました。それが、1890(明治23)年東京に創立された平岡工場と、1896(明治29)年大阪に創立された汽車製造合資会社です。
 元鉄道局技師平岡熙(ひらおか・ひろし、1856-1934)が設立した平岡工場は、当初東京小石川の東京砲兵工廠内の工場を借用して車輛製造を行っていました。借用期限がきて1896(明治29)年に錦糸町駅前に工場を作り移転しました。そして1901(明治34)年に汽車製造合資会社に合併しその東京製作所となり、その後1928〜31(昭和3〜6)年にかけて砂町に工場を作り移転しています。汽車製造合資会社(のち株式会社)は1972(昭和47)年川崎重工業に合併するまで、蒸気機関車電気機関車そして東海道新幹線の車輛など、数多の鉄道車両を製作していました。
 このたび江東区文化センターにて「平岡工場と汽車会社展」が開催されることになり、実業史研究情報センターのスタッフは早速展示を見学してきました。会場には左右の壁に社史や社内報からピックアップした記事や写真がずらっと展示されていました。展示解説によると錦糸町にあった平岡工場の場所は、現在錦糸町駅南の「東京楽天地」のところだそうです。その後移転した砂町の工場跡地は展示の地図によると、展示会場の江東区文化センターの真東、現在は都営住宅が建っているあたりのようでした。
 展示されている社内報は汽車製造(株)大阪製作所の『KSKライフ』と、同東京製作所の『汽車東京』の二種類で、いずれも蒸気機関車製造にまつわるさまざまなエピソードが綴られていました。「創立70周年を迎えて」という『KSKライフ』第165号(1966年9月5日)の記事には、明治から大正期の会社の状況が『渋沢栄一伝記資料』からの引用も含めて活き活きと語られていました。
 展示ケースの中には汽車につけられていた銘版などがいくつも並べられていました。また実物展示をしている「青梅鉄道公園」の写真なども展示されていました。明治以降蒸気機関車製造という重厚長大産業の創設と操業に邁進した先人たちの果敢なエネルギーが、ふつふつと伝わってくる展示でありました。(2012年5月8日見学)

「平岡工場と汽車会社展」
会場:江東区文化センター 2階展示ロビー
   江東区東陽4-11-3 電話03-3644-8111
日時:2012年5月7日(月)〜5月13日(日)
   午前9時〜午後10時(最終日は午後5時まで)
入場無料
主催:平岡工場、汽車会社研究会
協力:青梅鉄道公園
   (財)碓氷峠交流記念財団
   江東区文化センター

参考リンク