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 マーガレット女学校 - 渡米実業団が訪問したピッツバーグの今昔 (5)

マーガレット女学校の歴史 / マーガレット・モリソン・カーネギー・ホール

マーガレット女学校の歴史

 鉄鋼王アンドリュー・カーネギー(Andrew Carnegie, 1835-1919)が1900年に設立したカーネギー技術学校(Carnegie Technical Schools)には、女性のための実業教育が行われていたマーガレット女学校(Margaret Morrison Carnegie School for Women)もありました。マーガレットはカーネギーの母の名です。

マーガレット・モリソン・カーネギー
マーガレット・モリソン・カーネギー
Margaret Morrison Carnegie
1809-1886
 1906年に最初の生徒を迎えたこの女学校では、裁縫や料理といった実学と共に経済学や倫理学、歴史なども学ぶことができたそうです。また学年が進むと秘書コースや建築・インテリアなどのコースもありました。その後1912年にカーネギー技術学校はカーネギー工科大学(Carnegie Institue of Technology)となり、マーガレット女学校の修了生も学士号を取得できるようになりました。1967年に大学がメロン工業研究所を合併してカーネギー・メロン大学Carnegie Mellon University)となったので、マーガレット女学校もその一部門となりました。しかし時代の要請と大学の方針の変化の中で、1973年に最後の卒業生を出し女学校としての役目を終えました。
 渡米実業団の婦人の部がここを訪問したのは、創立間もない1909年11月5日のことでした。渋沢栄一はその生涯に日本女子大学女子美術学校をはじめ数多くの女子教育機関に関わっていますが、このマーガレット女学校を兼子夫人が訪問したことはおそらく大きな意味を持っていただろうと推察されます。

マーガレット・モリソン・カーネギー・ホール

 ピッツバーグ大学とカーネギー館に隣接したカーネギー・メロン大学の入り口の案内図に、マーガレット・モリソン・カーネギー・ホールという建物が14番と記入されていました。「マーガレット」とつく建物はほかになかったので、それをたよりに広い構内を抜けていくと、テニスコートの向こうに立派な建物が現れました。コート側は改修工事なのか足場が組まれていましたので、ぐるっと反対側にまわると、幼稚園のような設備が併設されているのが見えてきました。

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マーガレット・モリソン・カーネギー・ホール 手前に遊技道具の見える建物
手前に遊技道具
の見える建物
マーガレット・モリソン・カーネギー・ホール 正面玄関
正面玄関
マーガレット・モリソン・カーネギー・ホール 玄関からのながめ
玄関からのながめ
 その先に円形デザインの外壁があり、銘板にはかつてこの建物が「マーガレット・モリソン・カーネギー女学校」であった、と書かれていました。
マーガレット女学校の銘板
銘板
Historic
Landmark

Margaret Morrison Carnegie Hall
1906, 1914
(formerly Margaret Morrison Carnegie School for Women)
Palmer & Hornbostel, architects

Pittsburgh History &
Landmarks Foundation
 中に入ってみるとMargaret Morrison Carnegieの大きな肖像画が飾られていました。落ち着いたたたずまいの各部屋では大学の講義が行われている様子でした。木の手摺が年代を感じさせる階段を上ると、壁には先人の言葉が書き込まれていました。時代を超えて多くの若者がこの建物で学びつつあることが実感されました。(2012年3月20日訪問)
マーガレット・モリソン・カーネギー・ホール 木の手摺
木の手摺
マーガレット・モリソン・カーネギー・ホール 先人の言葉が書き込まれた壁
先人の言葉が
書き込まれた壁

参考リンク