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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 シェンリー・ホテル - 渡米実業団が訪問したピッツバーグの今昔 (6)

シェンリー・ホテルの歴史 / シェンリー・ホテルの今

シェンリー・ホテルの歴史

 1909年11月5日に渡米実業団一行が投宿したシェンリー・ホテル(Schenley Hotel)は、『渋沢栄一伝記資料』に「ホテル・シェンレー」とも書かれています。ピッツバーグ東部オークランドにあるカーネギー館のすぐそばですので、栄一が出席したウェスチングハウス社主催の晩餐会は、このホテルで開催されたのかもしれません。シェンリー・ホテルはオークランドの実業家フランクリン・ニコラ(Franklin Nicola, 1860-1938)が、文化・芸術・教育の中心地を目指して1898年に開業したものでした。株主にはアンドリュー・カーネギージョージ・ウェスチングハウス、H.J.ハインツらが名を連ねていました。その一人メアリー・クローアン・シェンリー(Mary Croghan Schenley,1826〜1903)の所有地にホテルは建てられたのでした。

シェンリー・ホテル バルコニーのある出入口
バルコニーのある出入口
シェンリー・ホテル 10階建ての外観
10階建ての外観
シェンリー・ホテル ボールルーム
ボールルーム
 大理石や豪華なシャンデリアで飾られたホテルはピッツバーグの誇る宿となり、ウィルソン、ルーズベルトタフトアイゼンハワーといった大統領が逗留しました。またテノール歌手エンリコ・カルーソーや女優サラ・ベルナールなどの著名人もやってきました。20世紀に入るとそこは単なる宿泊地ではなく、結婚式や高級料理での会食を楽しむ場所になりました。そしてUSスチール設立といった重要なビジネスの会談もここで行われました。1909年にはピッツバーグ大学がオークランドに移転し、更にベーブ・ルースを始め有名な野球選手も宿泊客に加わってきました。
 次の40年間に街は発展し、ホテルの周りにはさまざまな施設が進出してきました。1956年にホテルはピッツバーグ大学に売却され、学生組合の建物となりました。学生数が3万人を超えると建物の改修が必要になり、1980年に大学は1390万ドルをかけて改築を施しました。18か月後に上層階は学生のためのモダンな事務室となり、メインフロアは往時のままに復元され、地階も使いやすいように改修されました。

シェンリー・ホテルの今

 シェンリー・ホテルは上述のとおり現在はピッツバーグ大学の学生組合(William Pitt Union)となっていて、誰でも自由に入ることができました。10階建ての立派な建物はよく手入れが行き届いた印象で、周囲には桜やこぶしのような花が満開でした。

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 ホテルの正面玄関脇にはめ込まれた銘板には、次のように書かれていました。

シェンリー・ホテル 正面玄関
正面玄関
シェンリー・ホテル 銘板
銘板
Historic
Landmark

Schenley Hotel
built 1898
Rutan & Russell

Pittsburgh History &
Landmarks Foundation
 ホテルのロビーやボールルームであったところが、受付や宴会場としてそのまま使われていて、1909年当時はピッツバーグの社交場として大いに利用されていたことが想像できました。1階の別のコーナーではピッツバーグ縁のジャズミュージシャン関連展示がありました。2階へあがるとガラス天井から外が見渡せ、巨大な動物の像が置かれているのが目に飛び込みます。ピッツバーグには空港にも街中にもたくさんの動物の像があります。上階には学生生活を支援する種々の事務室があるそうです。そして地階には学生ラウンジがあり、多くの学生が食堂やゲーム室などに集っていました。(2012年3月19日訪問)
シェンリー・ホテル ロビー
ロビー
シェンリー・ホテル ジャズの展示
ジャズの展示
シェンリー・ホテル 動物の像
動物の像

参考リンク