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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 『沖電気100年のあゆみ』 【沖電気工業, 1981】

会社名

沖電気工業株式会社 [Oki Denki Kogyo Kabushiki Kaisha]
[Oki Electric Industry Co., Ltd.]

書誌事項

沖電気100年のあゆみ
 東京 : 沖電気工業, 1981.11
 438p, 図版4枚 ; 19cm
 注記: Title in romaji: Oki Denki 100-nen no ayumi ; 参照タイトル: 沖電気一〇〇年のあゆみ ; 編集・制作: 日本経営史研究所 ; 印刷: 大日本印刷 ; 年表・主要参考文献: p412-435 ; 縦組み

関東大震災と復興」に関連する本文の概要(p113-124)

《震災時》

  • 1923年9月1日の関東大震災では、東京・横浜市内の電話局はほとんど壊滅した。東京では加入電話83,000個の64%にあたる53,000個が焼失したため、首都圏の電話通信は麻痺した。
  • 通信機メーカーの沖電気は従業員1,201人総出で不眠不休の復旧活動を行なった。幸いにも本社、田町工場、新栄工場、大崎工場が焼失を免れたため、ここを拠点として通信施設の復旧にあたった。
  • 始めは陸海軍、各省、市役所などの電話架設を行い、大臣の公私邸、大使館、新聞社と続いた。電話局は都内に4局しか残らなかったため、一般の電話交換は復旧に困難を極めた。

《震災後》

  • 関東大震災は、日本の電信電話に二つの大きな影響を与えた。一つ目は有線通信から無線通信に切り換えるという流れである。被災状況や救援要請を流したのも無線だったことから、かねてから計画中だったラジオ放送事業が推進された。
  • 二つ目は電話の自動交換化である。自動交換機は1887年に米国で発明されたが、世界でもあまり実用化されていなかった。この震災を機に自動交換型にシフトしていくことが逓信省によって決められ、沖電気も自動交換機事業に着手していった。
  • 逓信省は自動交換機導入を決めたものの、海外メーカーの日本市場独占に頭を悩ませていた。そこで沖電気と英GE社の間に代理店契約を結ばせ、英国に技術者を派遣し、技術導入を急いだ。

目次にあらわれた「関東大震災と復興」関連事項

項目ページ
第2章 近代的企業へ発展 関東大震災における電話網の壊滅113
  電話交換の自動化115
  ステップ・バイ・ステップ方式の採用118
  自動交換機の国産化沖電気121

年表にあらわれた「関東大震災と復興」期の事項

年月日内容年表種別
1923年(大正12)年9月関東大震災逓信省、自動交換とラジオ放送の実施を決定業界・一般
1923年(大正12)年震災に伴う通信機の需要集中115沖電気
1924年(大正13)年11月東京放送局設立(大14・7放送開始)業界・一般
1924年(大正13)年12月ロンドン―ニューヨークで写真電送業界・一般
1924年(大正13)年ラジオ受信機を製作沖電気

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