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 【徳島】 蜂須賀茂韶より、人材紹介の依頼 - 第八十九国立銀行 【『渋沢栄一伝記資料』第5巻掲載】

1893(明治26)年1月(53歳)
徳島第八十九国立銀行岩下敏之を招聘す。栄一の斡旋する所なり。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 1部 実業・経済 / 1章 金融 / 1節 銀行 / 4款 国立銀行及ビ普通銀行 / 13 第八十九国立銀行 【第5巻 p.338-339】

 旧徳島藩主の蜂須賀茂韶(はちaすか・もちあき、1846-1918)は維新後にイギリスに留学、外務省、大蔵省等の勤務を経て後に貴族院議長を務めた人物です。蜂須賀は華族の資産活用にも尽力しており、渋沢栄一とは東京鉄道組合や明治火災保険など実業のほか、国際交流、教育などの社会公共事業でも幅広い交流がありました。
 『渋沢栄一伝記資料』には、1892(明治25)年に蜂須賀が第八十九国立銀行の経営を指導できる人材を求めて渋沢栄一に送った相談の手紙が掲載されています。その相談に対して栄一が具体的にどのように関与したか、残念ながら『伝記資料』記事からは判明しませんが、蜂須賀は翌1893(明治26)年1月5日付の栄一宛て書簡の中で大蔵省の岩本敏之を招聘することになったと謝意を記しています。
 1878(明治11)年5月20日高知県阿波国名東郡徳島寺島町321番地(現・徳島県徳島市)で開業した第八十九国立銀行は、後に八十九銀行となり1909(明治42)年に解散しています。しかし栄一と蜂須賀の交流は1918年に蜂須賀が他界するまで続きました。

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