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 【鳥取】 土地の美景を発揚するのは住民の務め - 船上山(せんじょうざん)史蹟保存会 【『渋沢栄一伝記資料』第49巻掲載】

1930(昭和5)年2月(90歳?)
是月、史蹟船上山を保存し、船上神社を修理増築せんとする目的を以て、船上山史蹟保存会設立せらる。栄一その顧問となり、在任歿年に及ぶ。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 9章 其他ノ公共事業 / 4節 史蹟保存 / 8款 其他 / 3  【第49巻 p.363-364】

 古来から山岳仏教が栄えた地として知られる鳥取県の船上山は、伯耆の豪族名和長年によって後醍醐天皇隠岐脱出後の行宮(あんぐう)が築かれるなど、歴史を伝える場所 でした。1930(昭和5)年2月、船上山史跡保存会が設立されました。同会の目的は船上神社の修復増築、後醍醐天皇を祀る奥宮との合併、寺坊址や山道の整備などで、会長は名和長憲、渋沢栄一近衛文麿犬養毅らとともに一三名の顧問の一人として同会に関与しています。
 船上山だけでなく各地の史跡保存を支援していた栄一は、1916(大正5)年の西ヶ原一里塚旧蹟二本榎保存碑除幕式で、「いずれの地方でもその土地の美景または便利などの特徴を発揚することは住民の務めである。古い歴史ある場所について、その湮滅(いんめつ)を防ぐことは文明人がせねばならぬことである」とする主旨の意見を述べています。
 船上山行宮跡は栄一没後の1932(昭和7)年、国の史跡に指定されました。

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