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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 【青森】 地方の模範となることを期し - 三本木渋沢農場 【『渋沢栄一伝記資料』第54巻掲載】

1915(大正4)年3月(75歳)
日栄一、渋沢事務所に於て、当農場顧問農学博士原熙の来訪に接し、当農場の経営に関し要談す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 2部 実業・経済 / 5章 農・牧・林・水産業 / 1節 農・牧・林業 / 1款 三本木渋沢農場 【第54巻 p.102-105】

 広大な火山灰土壌の扇状地にあった三本木原野の開墾は1855(安政2)年に新渡戸傳(にとべ・つとう、1793-1871)により始められ、1884(明治17)年設立の共立開墾会社に引き継がれました。1888(明治21)年、渋沢栄一は第一銀行八戸出張所廃止に伴い、経営不振となっていた共立開墾会社の株式を引き受け、その経営を指導する一方で地所の割譲を受け、1890(明治23)年より開墾を始めました。栄一は農科大学助教授の原熙を顧問に招き、水田、植林、畑、宅地等の開拓のほか、地方の模範となることを期して外国から種馬・牡馬を購入、地方産馬の改善も試みています。
 共立開墾会社は後に三本木原開墾株式会社となり1922(大正11)年に解散、一方、渋沢農場は少ないながら県内外からの移住者も徐々に増やし、1952(昭和27)年まで存続していました。
 農場解散から約半世紀後の2005(平成17)年、渋沢農場を記念して地元有志の寄附により農場事務所跡地に碑が建立されました。碑の表には往時の三本木原の開拓風景のレリーフと、次の和歌が刻まれています。

三本木の里にて 栄一
 行きすぎて 母まつ駒も見ゆるなり 牧場に近き 岡のひとむら
渋沢農場跡石碑


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