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情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 「1865年」を検索すると - 歴史年代編

 NHK大河ドラマ『八重の桜』の4月7日放送第14回では、1865(元治2・慶応元)年という時代の中で主人公山本八重が川崎尚之助と結婚しました。そこで「1865年」をおもしろ社史検索してみました。63件ヒットした中から51件を紹介いたします。なおこの時期の日本は旧暦を使っていましたので、社史の年表の年月日表記も旧暦と新暦が混在している可能性があります。

検索結果からみえてくること

  • 2月に製鉄所が横浜に着工され、9月には横須賀に製鉄所と造船所が着工されました。また長崎の製鉄所は8月に経営困難になっています。
  • 4月に米国の南北戦争が終了しました。国内では前年に外国に敗れた長州藩が攘夷から開国に転じています。この月「元治」から「慶応」に改元しました。
  • 7月には薩摩藩名義で鉄砲が購入されました。10月には長崎・横浜・函館の3港が開港しました。
  • 8月には岩崎弥太郎の長男久弥が誕生しました。社史の年表には旧暦(和暦)の慶応元年8月25日の誕生日の後ろに、新暦(西暦)の生没年がカッコ入りで記載されています。このサンプルデータでは和暦を機械的に西暦に直した結果、「1865年8月25日」という新暦と旧暦が混在した記述になっています。これをどのように処理していくかは、社史索引データベース公開に向けての課題のひとつです。
  • 大塚製靴の社史に「遣欧使節はじめて靴をはく」という記述がありました。この年5月に幕府は軍事調査のため使節をフランスに送っているので(『近代日本総合年表』岩波書店、2001)、その人々と推測されます。同社史年表の1861年に「オランダ人レマルシャン横浜に靴工場を開く」とありましたので、その靴をはいたのかもしれません。
  • その他内外の情勢が刻一刻と変化していく様子がみてとれます。その中で薩摩藩加賀藩、三井組、幕府などそれぞれに動きがあり、岩崎弥太郎はじめ実業家達が活躍していきます。

検索結果(抜粋)

内容年月日『社史タイトル』
(発行所、発行年)
種別(詳細)
京都出水葭屋町において八木与三郎出生、幼名保次郎1865.01.07『創業80年史』 (八木商店、1972)年表(会社事項)
幕府勘定所貸付金御用三井御用所新設1865.01三井銀行五十年史』(三井銀行、1926)年表
佐賀三重津にて「凌風丸」竣工(蒸汽外車、木製、長60尺、巾11尺、10馬力)本船は藩公の近海御召船1865.01『創業百年の長崎造船所』(三菱造船(株)長崎造船所、1957)年表(参考事項)
横浜製鉄所起工(8・24完成)1865.02石川島播磨重工業社史. 沿革・資料編』(石川島播磨重工業、1992)年表(一般事項)
神戸海軍操練局閉鎖1865.03.09『石川島重工業株式会社108年史』(石川島重工業、1961)年表(参考事項)
薩摩島津藩家老新納刑部久修と藩士五代友厚ら19名は長崎より英船に便乗して渡英の途につく。1865.03.22『ニチボー75年史』(ニチボー、1966)年表(業界ならびに内外情勢)
御用銅値段756匁余に引き上げ1865.03『住友別子鉱山史. 別巻』(住友金属鉱山、1991)年表(別子)
香港上海銀行設立。1865.04.03『岩井百年史』(岩井産業、1964)年表(一般事項)
元治を改元して慶応となる。1865.04.07『ニチボー75年史』(ニチボー、1966)年表(業界ならびに内外情勢)
アメリ南北戦争終結1865.04.09浦賀・追浜百年の航跡 : 1897-1997』(住友重機械工業(株)横須賀造船所、1997)年表(業界及び一般情勢)
第2回長州征伐1865.04.12三井銀行八十年史』(三井銀行、1957)年表(参照事項)
長州藩、外国との戦に敗れ洋式兵器や船舶の必要を痛感し攘夷から開国へ転換1865.04三菱商事社史. 資料編』(三菱商事、1987)年表(日本)
米、リンカーン大統領暗殺される1865.04三菱商事社史. 資料編』(三菱商事、1987)年表(世界)
英、香港上海銀行設立1865.04三菱商事社史. 資料編』(三菱商事、1987)年表(世界)
支配人ほか主要な手代、幕府に120両献金(歴代支配人の名字帯刀許可)1865.05『住友別子鉱山史. 別巻』(住友金属鉱山、1991)年表(別子)
横浜鈴木保兵衛等蚕卵紙の輸出許可を得。1865.05『回顧参拾年』(日東紡績、1953)年表(一般繊維関係)
武一瑞山、獄中で自刃1865.05三菱商事社史. 資料編』(三菱商事、1987)年表(高知)
後藤象二郎、仕置役に就任1865.05三菱商事社史. 資料編』(三菱商事、1987)年表(高知)
第2次長州の役1865.06『住友別子鉱山史. 別巻』(住友金属鉱山、1991)年表(住友・一般)
薩摩藩の名義で長崎の英商グラバーより鉄砲購入が実現1865.07三菱商事社史. 資料編』(三菱商事、1987)年表(日本)
横浜製鉄所落成1865.08.24『石川島重工業株式会社108年史』(石川島重工業、1961)年表(参考事項)
岩崎久弥誕生(1865.10.14〜1955.12.2)1865.08.25三菱商事社史. 資料編』(三菱商事、1987)年表(高知)
長崎製鉄所の経営困難につき本木昌造が改革意見を提出1865.08『創業百年の長崎造船所』(三菱造船(株)長崎造船所、1957)年表(重要事項)
弥太郎、三郡奉行の下役に召出される1865.08三菱商事社史. 資料編』(三菱商事、1987)年表(高知)
横須賀製鉄所起工1865.09.27『石川島重工業株式会社108年史』(石川島重工業、1961)年表(参考事項)
幕府・フランス技術者の指導で横須賀製鉄所建設着工1865.09.27浦賀・追浜百年の航跡 : 1897-1997』(住友重機械工業(株)横須賀造船所、1997)年表(業界及び一般情勢)
横須賀造船所起工1865.09『創業百年の長崎造船所』(三菱造船(株)長崎造船所、1957)年表(参考事項)
天皇、長崎・神奈川・函館の3港開港勅許。条約改正を幕府に命令1865.10.05石川島播磨重工業社史. 沿革・資料編』(石川島播磨重工業、1992)年表(一般事項)
長崎、横浜、函館の三港開く。1865.10.05『岩井百年史』(岩井産業、1964)年表(一般事項)
長崎・横浜・函館の開港勅許。1865.10.05『ニチボー75年史』(ニチボー、1966)年表(業界ならびに内外情勢)
老中松平周防守より生糸蚕種取締に付布達。1865.11『回顧参拾年』(日東紡績、1953)年表(一般繊維関係)
薩摩藩の新納・五代の両名は英国プラット・ブラザース会社に英貨1,000ポンドをもって紡機の購入を契約。1865.11『ニチボー75年史』(ニチボー、1966)年表(業界ならびに内外情勢)
買請米値段の算定につき銅米「両全仕法」を幕府に出願、翌年5月却下1865.12『住友別子鉱山史. 別巻』(住友金属鉱山、1991)年表(別子)
長州の役により美作分買請米削減1865.12『住友別子鉱山史. 別巻』(住友金属鉱山、1991)年表(別子)
早川久蔵、結婚(妻京)1865『早川運輸創業百十年史』(早川運輸、1996)年表(当社事項)
幕府雉子橋門内の牧場で将軍用の牛乳をとり、一部を江戸市中にも販売1865『帝国ホテル百年史』(帝国ホテル、1990)年表(業界・一般事項)
内待所御作事御用
御所築地御取広ケ御用
大宮御所御造営御用
1865三井銀行五十年史』(三井銀行、1926)年表
三井組、長州征伐御用金2万両を調達1865三井銀行八十年史』(三井銀行、1957)年表(当行)
加賀藩注文の木造帆船有明丸を建造1865『石川島重工業株式会社108年史』(石川島重工業、1961)年表(当社主要事項)
幕府横浜に製鉄所を設く1865『東京石川島造船所五十年史』(東京石川島造船所、1930)年表(一般重要事項)
両替町組の肝煎《キモイリ》(幹事)に選任さる1865安田保善社とその関係事業史』(安田保善社、1974)年表(創立以前
初代 安田善次郎関係事項)
小菅修船場設置の方案胚胎す1865『創業百年の長崎造船所』(三菱造船(株)長崎造船所、1957)年表(重要事項)
友訓死去、吉左衛門友親、浅田家から復籍して一二代当主となる1865住友銀行八十年史』(住友銀行、1979)年表(前史)
幕府、別子への安値買受米の払い下げ一部停止を通告1865住友銀行八十年史』(住友銀行、1979)年表(前史)
薩摩藩、英国プラツト社に紡績機械を注文す。1865『回顧参拾年』(日東紡績、1953)年表(一般繊維関係)
石油パイプライン、ペンシルヴァニア州ピッツバーグに敷設、鋳鉄製パイプ1865日本石油史 : 創立70周年記念』(日本石油、1958)年表(国外関係)
タンカー、ペンシルヴァニア州に初めて使用さる1865日本石油史 : 創立70周年記念』(日本石油、1958)年表(国外関係)
丑松、大坂曾根崎の米商三代目住吉屋清兵衛の娘こまと結ばれ養嗣子となり家督を相続。四代目住吉屋清兵衛を襲名1865大和証券百年史』(大和証券、2003)年表(社内事項)
遣欧使節はじめて靴をはく1865『大塚製靴百年史』(大塚製靴、1976)年表(業界)
メンデル「遺伝の法則」1865『大塚製靴百年史』(大塚製靴、1976)年表(一般)
この年 生家京都三条大橋東5丁目西海子町(現在滋賀銀行東山支店が在るあたり)に移り、菓子舗を再開(3歳)1865『稲畑八十八年史 : 1890〜1978』 (稲畑産業、1978)年表(稲畑勝太郎の歩み)

参考リンク

  • 第14回 「新しい日々へ」|あらすじ
    NHK大河ドラマ「八重の桜」〕
    http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/outline/
  • [おもしろ社史検索] 「新島襄」を検索すると - 人名団体名編
    〔実業史研究情報センター・ブログ「情報の扉の、そのまた向こう」 - 2013年2月7日〕
    http://d.hatena.ne.jp/tobira/20130207/1360202912
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