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 【石川 / 津幡〜七尾】 地域のため大いに利益ある線路 - 加能鉄道会社/鉄道会議 【『渋沢栄一伝記資料』第23巻掲載】

1894(明治27)年5月7日(54歳)
第四回鉄道会議是月三日より開かれ、是日栄一、会議に出席して加能鉄道会社発起につき審議す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 1部 社会公共事業 [実業・経済] / 8章 政府諸会 / 1節 諮問会議 / 1款 鉄道会議 【第23巻 p.135-137】

 1894(明治27)年5月、第4回鉄道会議の中で加能鉄道認可に関する審議がなされました。鉄道会議とは「鉄道会議規則」に基づき鉄道担当官庁が1892(明治25)年に設置した諮問会議で、渋沢栄一は第1回より臨時議員として出席しています。
 加賀の津幡町から能登半島の七尾町に至る加能鉄道について「半島の突先に鉄道を架ける必要はない」等の意見もありましたが、それに対して栄一は突先であっても七尾港は良港であり、津幡から七尾への連絡線は地域のためにおおいに利益ある路線と反論し、地域の繁盛になることだから許可を希望する、と意見を述べています。審議の結果、過半数の賛成を得て加能鉄道への仮免状下付は可決されました。
 この決定を受けて加能鉄道会社には同年9月に仮免許が、1896(明治29)年4月に本免許が下付されました。同社は七尾鉄道と社名を変更して工事に着手、七尾・津幡間の工事は1898(明治31)年4月に竣工しました。
 七尾鉄道は1907(明治40)年9月の国有化により、今日の七尾線JR西日本)に継承されています。

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