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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 「1867年」を検索すると - 歴史年代編

 NHK大河ドラマ「八重の桜」では、1867年(慶応3)のできごとがめまぐるしく展開していきます。そこで「1867年」をおもしろ社史検索してみました。162件ヒットしたので重複を整理して59件をご紹介します。この時期の年表は旧暦と新暦が混在している可能性があります。

検索結果からみえてくること

  • 日本では大政奉還の年でしたが、イギリスのマラヤ直轄植民地化、フランスのカンボジア保護国化、アメリカのアラスカ買収、ノーベルのダイナマイト発明、マルクスの『資本論』出版など、世界的にもその後の歴史に大きな影響を与える出来事があった年であることが分かります。
  • 欧米各国がアジア各地に進出してきて、日本の港が次々開港し、ホテルや西洋料理店が開業していく様子が社史に現れています。
  • 福沢諭吉が『西洋旅案内』で保険を紹介し、上海で英華辞典が出版され「保険」の訳語を採用したことが、保険会社の社史に記載されています。また日本最初の定期刊行雑誌とされる『西洋雑誌』が創刊されました。
  • 明治天皇の即位から大政奉還王政復古の大号令と続く変転の中で、パリ万博に招待された徳川慶喜(とくがわ・よしのぶ、1837-1913)の名代として弟の昭武(とくがわ・あきたけ、1953-1910)がパリに向かい、その随員として渋沢栄一も渡欧したことが、渋沢倉庫、清水建設の社史に記載されています。また昭武が3月にナポレオン3世に謁見したこと、11月にロンドンを訪問したことが、ニチボーの社史に記されています。

検索結果(抜粋)

















内容年月日『社史タイトル』
(発行所、発行年)
種別(詳細)
明治天皇即位1867.01.09『虎屋の五世紀 : 伝統と革新の経営. 通史編』 (虎屋、2003)年表(業界・一般事項)
[渋沢栄一は]徳川慶喜の弟、民部大輔昭武に従い、フランスに渡航1867.01.11『渋沢倉庫百年史』(渋沢倉庫、1999)年表(当社(創業前史))
小坂
南部藩、大島高任を銀山御用掛に任命し、小坂鉱山の本格的開発・製錬所建設に着手させたが、維新動乱のため中絶
1867.01.17『七十年之回顧』(同和鉱業、1955)年表
渋沢栄一徳川昭武の「パリ万国博覧会日本使節団」に随行1867.01清水建設二百年. 経営編』(清水建設、2003)年表(社会・建設業界の動き)
買請米8300石継続願、伊予米5800石余に限定して許可1867.01『住友別子鉱山史. 別巻』(住友金属鉱山、1991)年表(別子)
幕府代表徳川昭武はパリのチュイレリー宮で大統領ナポレオン3世に謁見。1867.03.24『ニチボー75年史』(ニチボー、1966)年表(業界ならびに内外情勢)
岩崎弥太郎、長崎土佐商会主任として赴任(主として外商と船舶武器の取引に当る)1867.03『創業百年の長崎造船所』(三菱造船、1957)年表(重要事項)
太政官職制の改定1867.04清水建設百五十年』(清水建設、1953)年表(一般国内情勢)
幕府の許可を受け、戸町村小菅浦に修船場設置を企図し、薩藩士五代才助(友厚)は小松帯刀らと謀り工事を開始、岩瀬公圃、工事を監督す1867.04『創業百年の長崎造船所』(三菱造船、1957)年表(重要事項)
坂本龍馬の商艦隊を海援隊と称す1867.04三菱商事社史. 資料編』(三菱商事、1987)年表(高知)
弥太郎、土佐商会の鬱陵島視察に同行1867.04三菱商事社史. 資料編』(三菱商事、1987)年表(高知)
英、マラヤに於ける東インド会社による統治を廃止し、直轄植民地とす1867.04三菱商事社史. 資料編』(三菱商事、1987)年表(世界)
稼人騒動(〜23)、11月16日首謀者逮捕1867.05.14『住友別子鉱山史. 別巻』(住友金属鉱山、1991)年表(別子)
兵庫開港勅許1867.05.24日本郵船百年史』(日本郵船、1988)年表(業界・一般事項)
鹿児島磯の浜に日本最初の紡績工場である薩摩藩営紡績所竣工。1867.05『ニチボー75年史』(ニチボー、1966)年表(業界ならびに内外情勢)
借庫規則(保税倉庫法の先駆)制定1867.06『早川運輸創業110年史』(早川運輸、1996)年表(業界・一般事項)
後藤象二郎坂本龍馬による船中八策成る1867.06三菱商事社史. 資料編』(三菱商事、1987)年表(高知)
弥太郎、朝鮮貿易を画策せるも挫折1867.06三菱商事社史. 資料編』(三菱商事、1987)年表(高知)
大政奉還の薩土盟約結ばれる1867.06三菱商事社史. 資料編』(三菱商事、1987)年表(日本)
米軍、台湾を攻撃1867.06三菱商事社史. 資料編』(三菱商事、1987)年表(世界)
仏、カンボジア保護国とする1867.06三菱商事社史. 資料編』(三菱商事、1987)年表(世界)
陸奥宗光海援隊商事に関する意見書を出す1867.07三菱商事社史. 資料編』(三菱商事、1987)年表(高知)
英国水兵殺害事件発生。弥太郎、公使と談判1867.07三菱商事社史. 資料編』(三菱商事、1987)年表(高知)
兵庫商社、金札発行を布告1867.08.22三井銀行八十年史』(三井銀行、1957)年表(参照事項)
三井組御用所、幕府金札の発行・引替を扱う1867.08三井銀行八十年史』(三井銀行、1957)年表(当行)
別子地売銅値段2割噌、774匁余に引き上げ1867.08『住友別子鉱山史. 別巻』(住友金属鉱山、1991)年表(別子)
米海軍、ミッドウェー島を占領1867.08三菱商事社史. 資料編』(三菱商事、1987)年表(世界)
稼人支給米の増額と値引きを実施1867.09.22『住友別子鉱山史. 別巻』(住友金属鉱山、1991)年表(別子)
大政奉還申請、翌日聴許1867.10.14『住友別子鉱山史. 別巻』(住友金属鉱山、1991)年表(住友・一般)
薩摩藩島津忠義父子・長州藩主毛利利敬父子に討幕の密勅。将軍徳川慶喜大政奉還を上表。1867.10.14『ニチボー75年史』(ニチボー、1966)年表(業界ならびに内外情勢)
慶喜将軍職の辞職を請う1867.10.24『渋沢倉庫百年史』(渋沢倉庫、1999)年表(業界および一般)
土佐大阪商会設立1867.10『創業百年の長崎造船所』(三菱造船、1957)年表(重要事項)
山内容堂大政奉還建白書を将軍慶喜に提出1867.10三菱商事社史 資料編』(三菱商事、1987)年表(高知)
米、露よりアラスカを購入1867.10三菱商事社史 資料編』(三菱商事、1987)年表(世界)
徳川慶喜将軍大政を奉還す1867.11.09安田保善社とその関係事業史』(安田保善社、1974)年表(創立以前//一般事項)
幕府代表徳川昭武はロンドンのウインザー宮殿でビクトリア女王に謁見。1867.11.09『ニチボー75年史』(ニチボー、1966)年表(業界ならびに内外情勢)
坂本竜馬中岡慎太郎は京都で暗殺される。1867.11.15『ニチボー75年史』(ニチボー、1966)年表(業界ならびに内外情勢)
兵庫開港・大阪開市を勅許。1867.12.07『岩井百年史』(岩井産業、1964)年表(一般事項)
金穀出納所御用を拝命、1000両を献納1867.12.28三井銀行八十年史』(三井銀行、1957)年表(当行)
小野・島田家とともに新政府の金穀出納所(大蔵省の前身)御用達を拝命1867.12三井銀行100年のあゆみ』(三井銀行、1976)年表(行内の動き)
福沢諭吉『西洋旅案内』で生命保険、火災保険、海上保険を詳しく紹介1867.12東京海上百二十五年史』(東京海上、2005)年表(損保業界・一般事項)
王政復古の政令発せられる(1868.1.3)1867.12三菱商事社史. 資料編』(三菱商事、1987)年表(日本)
初の本格西洋料理の店三河屋、神田に開店1867『帝国ホテル百年史』(帝国ホテル、1990)年表(業界・一般事項)
御所御領年貢請納御用
幕命ニヨリ三井組御用所江戸銀座金札ノ引換所トナル
金穀出納所御用仰付ラル率先金壱千両献納ス
1867三井銀行五十年史』(三井銀行、1926)年表/td>
神奈川ドイツ公使館施工1867清水建設二百年. 経営編』(清水建設、2003)年表(当社(創業前史))
幕府より古金銀収集取扱い方を一手に引受く1867安田保善社とその関係事業史』(安田保善社、1974)年表(創立以前//初代 安田善次郎関係事項)
築地に築地ホテル館竣工(慶応4開業)1867『帝国ホテル百年の歩み』(帝国ホテル、1990)年表(業界・一般事項)
この年『西洋雑誌』創刊1867『百三十年史』(日本紙パルプ商事、1975)年表(一般事項)
米PM社、サンフランシスコ・香港航路開設1867『二引の旗のもとに:日本郵船百年の歩み』(日本郵船、1986)年表(業界・一般事項)
上海で英華辞典出版され、「保険」の訳語を採用1867日本火災海上保険株式会社70年史. 年表・索引』(日本火災海上、1964)年表(損害保険業事項)
瑞典ノーベル、ダイナマイトを発明。1867『岩井百年史』(岩井産業、1964)年表(一般事項)
幕府海軍創立から明治維新まで船籍に入りたる船舶は軍艦9隻、運輸船45隻、計54隻 その内訳は、汽船28隻(暗車19隻、外輪9隻)、帆船26隻、製造国別は、日本20隻、英国14隻、米国11隻、蘭国4隻、仏国1隻、不詳2隻、以上54隻の船舶中、売却、破壊、老朽などで、船籍を脱した26隻を差引くと、幕末の海軍力は軍艦8隻、運輸船20隻であった1867『創業百年の長崎造船所』(三菱造船(株)長崎造船所、1957)年表(参考事項)
なお維新の際艦船造修の用に供すべき多少の設備所持の藩は14藩あり、主な所在地は、鹿児島、石川島、姫路、津、寒風沢、萩、鞆津、佐賀、青森、新宮、七尾などで、新造した艦船は、汽船1隻、帆船軍艦3隻、帆船運輸船12隻、合計16隻(日本近世造船史)1867『創業百年の長崎造船所』(三菱造船(株)長崎造船所、1957)年表(参考事項)
フルード、最初の水槽を造る(長85米、巾10米、深3米)1867『創業百年の長崎造船所』(三菱造船(株)長崎造船所、1957)年表(参考事項)
この年長崎出店閉店1867『住友別子鉱山史. 別巻』(住友金属鉱山、1991)年表(住友・一般)
別子稼人、飯米削減に抗議。この騒ぎのため3カ月間休山1867住友銀行八十年史』(住友銀行、1979)年表(前史)
江戸三井組、国産掛を設置1867『挑戦と創造 三井物産一〇〇年のあゆみ』(三井物産、1976)年表(三井物産関係)
西村、日本橋に銃砲弾薬商をはじめる1867『大塚製靴百年史』(大塚製靴、1976)年表(業界)
マルクス資本論第一巻」1867『大塚製靴100年史』(大塚製靴、1976) 年表(一般)

参考リンク

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