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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 「1868年」を検索すると - 歴史年代編

 NHK大河ドラマ「八重の桜」ではいよいよ1868年(慶応4)に入り、鳥羽伏見の戦いから時代が急展開していきます。そこで「1868年」をおもしろ社史検索してみました。488件もヒットしたので、国内産業に関する事項を抽出して38件をご紹介します。この時期の年表は旧暦と新暦が混在している可能性があります。

検索結果からみえてくること

  • 輸出用の銅を扱っていた住友別子銅山と大阪の銅座の動きが出てきています。銅は別子から大阪に運ばれ精錬の後、長崎へ送られたそうです。
  • 政府の金融事務を扱った三井・小野・島田組の動きや、清水組による築地ホテルの建設など種々の産業に関する事項が記されています。
  • イギリス人商人グラバーやドイツからのお雇い外国人ゴットフリート・ワグネルなど、何人もの外国人の来日が社史に現れています。
  • 前年初頭から徳川昭武の随員として訪欧していた渋沢栄一が帰国し、静岡に向かったことが渋沢倉庫の社史に記載されています。

検索結果(抜粋)

内容年月日『社史タイトル』
(発行所、発行年)
種別(詳細)
土佐藩銅山役人、別子銅山を接収のため登山1868.01.29住友林業社史別巻』(住友林業、1999)年表(別子)
蒸気機関ハッヘルモーレン据付けの川浚船建造1868.01『石川島重工業株式会社108年史』(石川島重工業、1961)年表(当社主要事項)
広瀬支配人、別子銅山の継続稼行を新政府(土佐藩預り所)に出願1868.02.02住友林業社史別巻』(住友林業、1999)年表(別子)
金穀出納所が会計事務局と改称されるにともない御為替方三井組と称し、政府の金融事務を担当1868.02三井銀行100年のあゆみ』(三井銀行、1976)年表(行内の動き)
三井・小野・島田の3組を為換方に任命1868.02日本興業銀行五十年史. 年表』(興銀、1957)年表(金融)
旧幕府の銅座役所を大阪銅会所と改称、明治政府鉱山行政の開始1868.02『創業100年史』(古河鉱業、1976)年表(関連会社・業界事項)
東征軍に三井組名代従軍、軍費3万5000両、白米1000俵の調達に尽力1868.03三井銀行八十年史』(三井銀行、1957)年表(当行)
佐賀藩、イギリス人グラバーと高島炭坑の経営・石炭販売につき条約を締結1868.04.13『高島炭砿史』(三菱高島炭砿、1989)年表(高島炭砿)
横須賀製鉄所(のちの海軍工廠)公収される1868.04.20横浜銀行六十年史』(横浜銀行、1980)年表(明治時代
神奈川県)
大聖寺藩(加賀藩支藩)、琵琶湖水運開始のため大津(滋賀県)に大津造船工場を設置1868.04川崎重工業株式会社百年史:夢を形に. 資料・年表』(川崎重工、1997)年表(当社事項)
蚕種生糸改所設置1868.04日本興業銀行七十五年史. 別冊』(興銀、1982)年表(産業・経済)
福沢諭吉慶応義塾を興す。1868.04『岩井百年史』(岩井産業、1964)年表(一般事項)
弥太郎、北海交易を行う1868.04三菱商事社史. 資料編』(三菱商事、1987)年表(高知)
長崎商会閉鎖、大阪西長堀の高知藩屋敷内に出張所を置き、貿易の主力を移す。弥太郎は長崎に残留、残務整理を行う 海援隊解散1868.04三菱商事社史. 資料編』(三菱商事、1987)年表(高知)
政府、イギリス製の造幣機械を発注1868.04日本銀行百年史. 資料編』(日銀、1986)年表(金融一般)
ドイツ人ゴットフリード・ワグネル来日(38歳)1868.05.15日本ペイント百年史』(日本ペイント、1982) 年表(当社創業前の明治元年明治13年の年表)
太政官札を5年内に新貨と交換すべき旨布告(戦乱平定後正貨と同価値となったが、大部分新紙幣と交換され、再び不換紙幣となった)1868.05日本興業銀行五十年史. 年表』(興銀、1957)年表(金融)
舎密(セイミ)局を大阪におく1868.06.29日本ペイント百年史』(日本ペイント、1982) 年表(当社創業前の明治元年明治13年の年表)
長崎製鉄所官収され長崎府判事統轄の下に経営
製鉄所頭取本木昌造 〃青木休七郎(幼名久七郎) 助役6名 元締役2名 勘定役3名 機械方5名 附役3名 計21名
1868.06『創業百年の長崎造船所』(三菱造船、1957)年表(重要事項)
政府、幕府がフランス商社から借入れた50万ドルを返済のため東洋銀行から同額を借入れ1868.07.26日本銀行百年史. 資料編』(日銀、1986)年表(金融一般)
幕府特命により築地ホテル館の建築に着工1868.07清水建設百七十年』(清水建設、1973)年表(当社のあゆみ-一般)
政府、英国東洋銀行から洋銀500千弗借入1868.07日本興業銀行五十年史. 年表』(興銀、1957)年表(金融)
大阪銅会所を鉱山局と改称1868.07日本興業銀行五十年史. 年表』(興銀、1957)年表(産業)
製鉄所、長崎府判事の命により、浜町〜築町間の鉄橋架設、工費1万6千円(本邦鉄橋架設の嚆矢)1868.08.01『創業百年の長崎造船所』(三菱造船、1957)年表(重要事項)
二代喜助、日本の本格的ホテルの第一号「築地ホテル館」施工1868.08『棟梁から総合建設業へ』(清水建設、2003)年表(当社のあゆみ)
光保が明治天皇東京行幸途中で、名古屋のつくは祢屋の菓子調進に川端道喜とともに立ち会う1868.09.27『虎屋の五世紀 : 伝統と革新の経営. 通史編』 (虎屋、2003)年表(当社事項)
広瀬宰平、政府のお雇い外人技師コワニェの生野鉱山視察に随行1868.09住友銀行八十年史』(住友銀行、1979)年表(前史)
弥太郎、第二回北海交易を行うも成功せず1868.1三菱商事社史. 資料編』(三菱商事、1987)年表(高知)
築地ホテル館開業(着工慶応3年7月、設計・ジェンス外事作事方、施工・清水店)、木部緑色ペンキ塗1868.11.19日本ペイント百年史』(日本ペイント、1982) 年表(当社創業前の明治元年明治13年の年表)
[渋沢栄一]日本に帰国。駿河藩勘定組頭を命ぜられる1868.12『渋沢倉庫百年史』(渋沢倉庫、1999)年表(当社(創業前史))
五世惣右衛門、天秤棒を大八車に替え、行商から出張売り出しへ。仕入れは名古屋、松阪まで広げる1868ジャスコ30年史』(ジャスコ、2000)年表(当社の動き)
横浜でアメリカ人がビールを醸造1868ジャスコ30年史』(ジャスコ、2000)年表(業界・一般社会の動き)
平野富二、長崎製鉄所機関方に任命される1868『石川島播磨社史. 沿革編』(石川島播磨重工業, 1992)年表(石川島重工業)
安田善次郎両替町世話人となる1868『80年史』(安田火災、1968)年表(一般事項)
「不動産」という言葉が文献に使われ始める(明治20年頃から一般化)1868三井不動産四十年史』(三井不動産、1985)年表(業界・一般動向)
住吉屋、堂島仲町に移って米会所と関係を結ぶ1868大和証券60年史』(大和証券、1963)年表(社内事項)
日本最初の電信線架設(横浜)1868関西電力五十年史』 (関西電力、2002)年表(日本)
わが国最初の鉄橋くろがね橋架橋1868日本ペイント百年史』(日本ペイント、1982) 年表(当社創業前の明治元年明治13年の年表)

参考リンク

凡例

「おもしろ社史検索」を始めるにあたって
〔実業史研究情報センター・ブログ「情報の扉の、そのまた向こう」 - 2012年12月7日〕
http://d.hatena.ne.jp/tobira/20121207/1354846066