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 【福井・敦賀】 敦賀・伏見・四日市に於ける倉庫業 - 敦賀港や伏見等で倉庫設備を視察 【『渋沢栄一伝記資料』 第14巻掲載】

1884(明治17)年6月(44歳)
是月栄一、第一国立銀行京摂地方支店巡廻の途次、敦賀に至り、港内倉庫設備を一覧の後、八幡銀行頭取西川貞二郎等と、同地に倉庫会社を設立せんことを協議し、伏見に至りて同地の倉庫会社を視察し、更に四日市に於て倉庫会社設置を説きしものの如し。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 1部 実業・経済 / 3章 商工業 / 26節 倉庫業 / 4款 敦賀・伏見・四日市ニ於ケル倉庫業 【第14巻 p.343-345】

 1884(明治17)年6月、渋沢栄一は地方巡廻の途次、敦賀港に立ち寄り倉庫設備を視察しました。その後京都伏見でも倉庫を視察、後に八幡銀行頭取らと敦賀での倉庫会社設立について談じています。
 栄一は新潟では1879(明治12)年に北越商会を、1882(明治15)年には東京深川で倉庫会社を興し、その経営に参加していましたが、折からの不況もあり北越商会は1884(明治17)年7月に解散、深川の倉庫会社はその翌年に休業となります。倉庫会社再建のため、栄一は東京に本社を置き横浜や四日市、新潟など全国の商業枢要の地に支店を設置する「一大倉庫会社」を構想、政府に支援を求めるも実現に至らず、深川の倉庫会社も廃業となりました。敦賀視察から2年後のことでした。
 それでも倉庫業を金融や物流に不可欠なものと位置付けていた栄一は、1897(明治30)年に至り、深川渋沢邸内に渋沢倉庫部(現・澁澤倉庫)を創立しています。
 かつて栄一が訪れた敦賀港は、後に国際港としてシベリア鉄道経由で欧州へと繋がる日本の玄関口となりました。当時の倉庫群が残る敦賀港のウォーターフロント地域には、旧敦賀港駅舎が復元され、当時の面影を今日に伝えています。

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