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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 【新潟】 実に痛心に堪えかね候 - 北越鉄道 【『渋沢栄一伝記資料』第9巻掲載】

1897(明治30)年7月5日(57歳)
是より先、当会社の沼垂路線を繞つて新潟派・株主派間に軋轢を生じ、栄一この間にありて円満解決に腐心す。されど紛擾熄まず、是年五月栄一遂に他の株主派重役とともに監査役辞任を表明するに至りしも、是日臨時総会において監査役に再選せられ、爆破事件発生するなど険悪なる空気の中に引続き事態拾収に尽力し、三十三年一月に至り、栄一の推進する万代橋停車場設置の決定を見るに及んで紛争漸く解決す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 (五)[(六)] / 1部 実業・経済 / 2章 交通 / 2節 鉄道 / 11款 北越鉄道株式会社 【第9巻 p.34-51】

 1894(明治27)年、直江津・新潟間を結ぶ鉄道会社設立が民間有志により発起・出願され、翌年12月に北越鉄道が誕生しました。渋沢栄一は創立出願では発起人会長として、1895年5月の創業時には監査役に就任、同社経営に尽力しています。
 同社の運営は順調とは言い難く、新潟地域の停車場(駅)設置場所をめぐり「新潟派」「株主派=沼垂(ぬったり)派」の間に争議が発生、1897(明治30)年5月、栄一は株主派重役とともに辞任を表明しています。その後栄一は現地関係者に書状を送り、争議について「実ニ痛心ニ堪兼候」と述べ、自分も東京の関係者に極端に走らないよう忠告するが、現地でも衝突を回避するよう努力・工夫するようにと要請しました。
 同年7月5日、栄一は臨時総会で監査役に再選されますが争議は収まらず、鉄道開業前日の11月11日には反対派による沼垂駅爆破事件にまで発展しました。
 その後も栄一は事態収拾に尽力、事件から2年後の1899(明治32)年12月8日に同社は取締役会で「沼垂仮停車場ハ新潟ニ至ル乗客ニ対シ実際不便」であるとし、栄一が推進した新潟万代橋停車場の設置を決議します。
 和解案「新潟万代橋停車場」の設置は1904(明治37)年に至り実現、その翌年7月には栄一は監査役を辞して相談役となりました。新潟と沼垂は紛争を超えて1914(大正3)年に合併、それを機に港の整備もなされ、海陸交通の拠点として飛躍的な発展を遂げました。北越鉄道の路線は1907(明治40)年には国有化され、今日の信越本線JR東日本)に継承されています。

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