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 【大分】 松方正義徳政化俗碑 - 知事・松方正義の遺徳を記念 【『渋沢栄一伝記資料』第49巻掲載】

1924(大正13)年8月 (64歳)
是月栄一、大分県日田郡日田町に建設せらるる、松方正義徳政化俗碑の撰文並に揮毫をなす。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 9章 其他ノ公共事業 / 3節 碑石 / 22款 松方正義徳政化俗碑 【第49巻 p.270-271】

 松方正義(まつかた まさよし、1835-1924)は明治元年より明治3年まで日田県(現大分県)初代知事として産業振興や築港など地方行政に尽力、さらには慈善事業にも着手し、明治2年に日本初の孤児院「養育館」を設立しました。松方は後に内務・大蔵・総理大臣を歴任しています。
 松方が他界した1924(大正13)年、日田の有志は知事時代の遺徳を記念して碑を建立しました。その撰文を行ったのは渋沢栄一でした。
 碑文の主旨は「財政で天下に功績を為した松方公は壮齢のころ日田県長官に就任した。山水清淑・学芸の淵叢たる日田は、幕府直轄地で最も難治と言われたが、松方公はよく要点をとらえ、民意を察して治績を挙げた。また私財を投じて養育館を設立、公の恵政は民に及んだ。地方有志が恩徳碑の建立を計画、依頼を受けて撰文をした」というものでした。
 碑の扁額には清浦圭吾揮毫による「徳政化俗」(とくせいけぞく)の四字が掲げられ、栄一撰文とともに日田市の大原八幡宮境内で初代知事の遺徳を今日に伝えています。

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