1927(昭和2)年9月30日 (87歳)
是日栄一、東京を発し静岡県修善寺に赴き一泊、翌十月一日、下田町玉泉寺境内に建設せられたるタウンゼンド・ハリス記念碑除幕式に出席し、演説をなす。二日帰京す。
出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 3部 身辺 / 6章 旅行 / 1節 国内旅行 【第57巻 p.679】
タウンゼント・ハリス(Townsend Harris, 1804-1878)は初代米国総領事として1856(安政3)年に来日しました。下田上陸翌日の日記に「開国は真に日本のためになるだろうか」との自問が記されているように、ハリスの外交姿勢は自国の利益だけでなく、開国間もない日本の発展をも心にかけたものだったと言われています。
来日から約70年後の1927(昭和2)年、来日当初ハリスが滞在していた下田玉泉寺に記念碑が建てられました。碑の建立に尽力した栄一は、87歳の高齢ながら2日がかりで下田を訪れ、除幕式に出席しています。除幕式スピーチで栄一は、ハリスが日記に記した自問に言及、その問いへの答えとして、封建的専制から立憲国に、また資源乏しい国ながら産業・貿易も盛んになったのは、ハリスのお陰、と述べています。
記念碑は太平洋戦争中に根元から切断されたものの辛うじて破壊は免れ、戦後、台座を新たにして再建され、今日に至っています。
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巻 | ページ | 記事 |
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第38巻 | p.323-431 | タウンゼンド・ハリス記念碑建設 |
第38巻 | p.432-446 | 玉泉寺本堂修繕 |
第48巻 | p.39-40 | 日本に於けるタウンセンド・ハリス君の事績 付、ハリス君記念碑除幕式に於けるマクヴェー大使の式辞 |
第49巻 | p.275 | タウンゼンド・ハリス記念碑 |
第57巻 | p.679 | 国内旅行 |
別巻第10 | p.198-199 | 写真 |
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号(刊年月) | ページ | 記事 |
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469号(1927.10) | p.1-4 | タウンセンド・ハリス記念碑除幕式に於て / 渋沢栄一 |
469号(1927.10) | p.102-131 | ハリス記念碑除幕式、他 |
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号(刊年月) | ページ | 記事 |
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392号(1981.11) | p.37-38 | タウンゼント・ハリス記念碑後日譚 : 随想 / 吉岡重三 |
408号(1983.03) | p.9-16 | 玉泉寺とタウンゼンド・ハリス記念碑 / 『青淵』編集部 |
412号(1983.07) | p.12-14 | ハリス記念碑後日譚続編 : 随想 / 吉岡重三 |
454号(1987.01) | p.18-21 | タウンゼンド・ハリス墓前献灯式 / 村上庸道 |
492号(1990.03) | p.15-17 | 「ハリス記念碑」建立者顕彰祭を開催して / 平井繁 |
611号(2000.02) | p.19-21 | よみがえった星条旗 / 村上庸道 |
656号(2003.11) | p.1 | 渋沢栄一のことば / 『青淵』編集部 |
686号(2006.05) | p.32-33 | 渋沢栄一翁の足跡(10) 渋沢栄一と「ハリス記念碑」 / 橋本実 |
724号(2009.07) | p.24-25 | 全力投球の姿を識る : 下田玉泉寺の再興 / 瀬尾秀彰 |
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参考リンク
- [今日の栄一] 1927(昭和2)年9月30日 (87歳) ハリス記念碑除幕式出席のため、伊豆へ 【『渋沢栄一伝記資料』第57巻掲載】
〔実業史研究情報センター・ブログ「情報の扉の、そのまた向こう」 - 2008年9月30日〕
http://d.hatena.ne.jp/tobira/20080930/1222738879 - 伊豆下田 玉泉寺
http://www1.ocn.ne.jp/~gyokusen/ - 10.ハリス記念碑
〔深谷市〕
http://www.city.fukaya.saitama.jp/syougaigakusyu/shibusawa_monogatari16_10.html - ハリス(Harris, Townsend) - 港区ゆかりの人物データベースサイト
〔港区〕
http://www.lib.city.minato.tokyo.jp/yukari/j/man-detail.cgi?name=%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%B9