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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 【帝国ホテル. 4】 定款改正。渋沢栄一、取締役会長に就任

1893(明治26)年10月24日
是日株主臨時総会を当会社に開き、商法の施行に伴う定款の改正を議す。尋いで十二月十六日定款改正を農商務大臣伯爵後藤象二郎に願出で、同二十九日認可を得、帝国ホテル株式会社と改称す。栄一取締役会長に就任、以後毎期重任して明治四十二年六月に至る。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 1部 実業・経済 / 3章 商工業 / 27節 ホテル業 / 1款 株式会社帝国ホテル 【第14巻 p.386-399】

 1893(明治26)年7月1日、商法(会社編)が施行され、会社組織の制度化がすすめられました。帝国ホテルでは10月24日に株主臨時総会を開き定款改正を検討、12月16日に農商務大臣に定款改正願が提出されました。このとき社名は「帝国ホテル株式会社」に変更となり、栄一は取締役会長に就任しています。

定款改正に関する書類
定款改正に関する認可願(農商務大臣後藤象二郎宛、1893(明治26)年12月16日)
簿冊「第1種 第三課文書類別・農商(共7冊ノ4)・会社ニ関スル書類・丁・自20至35  〈第三課〉」(請求番号:620.B7.6)所収
東京都公文書館所蔵
 >> 『伝記資料』における翻刻(第14巻p.387-389)

 1901(明治34)年12月7日、創業以来低迷を続ける経営を立て直すため、帝国ホテルに経験豊富なドイツ人のエミール・フライク(Emil Flaig, ?-1906)が到着、翌年の3月1日に支配人に就任しています。フライクは設備、サービス、その他さまざまな改革を手掛け、それにより帝国ホテルは短期間で大きく変貌を遂げました。おりしも大阪での内国勧業博覧会開催などで外国人観光客も増え、1903(明治36)年の4月5月は全室満室となるほどの盛況となりました。(『帝国ホテル百年史』p.100-112参照)
 渋沢栄一の日記には、栄一が支配人就任前のフライクとホテル業務改良について談じたことが次のように記されています。

渋沢栄一 日記  明治三五年
一月廿二日 雪
○上略
午後五時帝国ホテルニ抵リ、過般瑞西国ヨリ雇入レタルフレーグト会話シ、向後ホテル業務改良ノコトヲ談ス ○下略
『渋沢栄一伝記資料』第14巻p.393)

 この後もフライクの名は、栄一の日記にたびたび出現、会長の栄一が支配人フライクと密接にホテル経営について打合せを行っていたことを物語っています。

参考リンク