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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 【帝国ホテル. 8】 渋沢栄一、引退後も帝国ホテルの経営に意見を述べる。「ホテル業は一国の経済にも関係する重要な事柄。外来の御客を接伴して満足を与ふるやうにしなければならぬ」

1910(明治43)年1月15日
日栄一、当ホテルに於ける当会社重役会に出席し、ホテル経営に関して意見を述ぶ。爾後栄一、屡々当会社重役会及び其他の会合に出席し、又、内閣総理大臣桂太郎・農商務大臣大浦兼武・宮内大臣波多野敬直等を訪問する等、当会社のため尽力するところ少なからず。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 2部 実業・経済 / 3章 商工業 / 16節 ホテル / 1款 株式会社帝国ホテル 【第53巻 p.534-536】

 渋沢栄一は取締役会長を辞任した後も重役会に出席、あるときは帝国ホテル支配人林愛作の訪問を受け、またあるときは大臣らをその官邸に訪ねてホテル経営について談話、協議をしています。『伝記資料』第53巻p.534-536に再録された栄一の日記からはその関与の様子を見ることができます。

 さらに第53巻p.553の「日本ホテル協会」の項では、栄一がホテル業全般に対して述べた意見を見ることができます。1912(明治45)年には鉄道省主導のもと、ホテル業・海運業の有志企業がジャパン・ツーリスト・ビューローを設立、外客誘致に向けて官民合同の組織的な活動が始まりました。帝国ホテルでは1912(明治45)年2月3日にジャパン・ツーリスト・ビューロー披露会が、さらにその1週間後の2月10日に林愛作(はやし・あいさく、1873-1951)支配人主催による日本ホテル協会晩餐会が開催されました。渋沢栄一はそれぞれの会に出席、挨拶を述べています。2月10日の晩餐会では諸大臣が述べたホテル業、交通業への厳しい期待に対し、栄一は次のように挨拶を返しています。

竜門雑誌  第二八六号・第一一 ― 一二頁 明治四五年三月
    ○日本ホテル協会晩餐会に於て
                     青淵先生
[前略]
私も二・三年前ならば諸君の御仲間となつて此宴会の主人位地に立つたのでありますが、今日は御客として御招待を受けまして種々の御高話を伺ひました、[中略] 私はホテル業に対しては所謂敗将勇を語らずと云ふ身柄で、ホテルの事業に就て申上げる資格は無いかも知れませぬ、けれども御小言を言ふは易いが、実行するのは仲仲難いものであります、私も随分苦みましたが、一向苦み甲斐がない[。] 明治二十三年から四十二年迄殆んど二十年間此れが経営に従業したが少しも此事業の進歩を見ない。
[中略] 今日のホテル事業に就て金子子爵から段々の御訓誡によりて、大に改めなければならぬ点がある、他日は御褒め言を頂戴するやうにしなければならぬ、即ち二十年来の辛苦は是れより大に発展するの基礎を作る様になつたと思ふと、叱られつゝも斯業に苦んだ甲斐ある様に思はれる、是に於て始めて勇を語る資格も生ずる事であらうと思ふ。
諸君、先刻阪谷男爵は花より団子と云ふ御説があつたが、此の卓上の花は奇麗は奇麗でも室咲きの花である、室咲きではいけない、真の花を咲かせたいと思ふ。
故にホテル業者諸君の御会合に当つて、私の希望する所は斯業の信用を益々高めて真の花を咲かせたい、ホテル業は一国の経済にも関係する重要な事柄である、外国人を引受けて風景を見せる、物品を販売する、為めに自国に落つる貨幣は少なからぬのである、毎年欧米人が瑞西其他の風光明媚の地へ旅行して費消する金は少なからぬのである、どうか日本も多くの外国人を引受けて、ドシドシと来る様にしたいと思ふ、是れは一に此席に列せらるゝ諸君の勉強如何に依て出来る事である。
現今の貿易は海外より輸入がいつも超過する、而して此貿易は坐貿易といふて、従来我邦の当業者の微力を歎じた、併し此ホテル事業は外来の御客を接伴して外国人に満足を与ふるやうにしなければならぬ、詰り坐貿易にて経済の発達を謀るべきものである、幸ひに此ホテル事業が追々に進歩して、其力に依て貿易上に良影響を与ふることが出来るならば、実に国家の幸福である、[中略] 兎に角ホテル業者諸君の御勉強に依て、延ひて我邦の経済上又は国際上にも良影響を及ぼす様に御尽力有りて、金子子爵の御小言が追々と少くなることを諸君の為めに祈るのであります、[後略]
『渋沢栄一伝記資料』第53巻p.553-554)

林愛作
『ツーリスト』第1号(ジャパン・ツーリスト・ビューロー, 1913.06)表紙
(旅の図書館所蔵)

『ツーリスト』とはジャパン・ツーリスト・ビューロー会報で、ビューロー設立翌年の1913(大正2)年6月に創刊されました。第1号には発刊の辞、ビューロー設立之趣旨のほか、前年1912(明治45)年2月3日に帝国ホテルで開催されたジャパン・ツーリスト・ビューロー披露会での渋沢栄一阪谷芳郎の演説が収載されています。

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