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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 【帝国ホテル. 9】 〔番外編1〕 桜の会。「青淵先生を会長とせる『桜の会』は四月廿三日午後三時より帝国ホテルの大広間に開かれたり」

1917(大正6)年9月25日
是より先、国花たる桜を愛護し、以て公共的観念を助長し、併せてこれを外国人に紹介せんがため、徳川頼倫外数名の発起により、当会設立せらる。是日、帝国ホテルに於て、当会会合開かれ、栄一その会長に推さる。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 9章 其他ノ公共事業 / 4節 史蹟保存 / 5款 桜の会 【第49巻 p.331-334】

 桜の会とは桜を愛護する趣味の普及や桜の名所名木を内外の人々に紹介することを企図して1917(大正6)年に設立された会で、事務局は帝国ホテルに置かれ、帝国ホテル支配人林愛作(はやし・あいさく、1873-1951)もその主唱者に名を連ねていました。渋沢栄一は推されて同会会長に就任しています。
 『渋沢栄一伝記資料』第49巻p.332には、1918(大正7)年の会の様子が『竜門雑誌』からの再録として次のように紹介されています。

竜門雑誌 第三六〇号・第七六頁 大正七年五月
○青淵先生と桜の会 青淵先生を会長とせる「桜の会」は四月廿三日午後三時より帝国ホテルの大広間に開かれたり。桜の会とは我邦の国花たる桜を愛護する趣味の普及に努め、広く之が植継と其保存保護の至要なる事を唱道し、併せて桜の名所名木を内外の人々に紹介したき希望の下に組織せられたる会なり。されば当日の会場には福禄寿・水上・白華山・法輪寺・牡丹・提灯・南殿・狸々・関山・明月・麒麟・普賢像・大山府君・御衣黄・滝の匂・薄墨・上香・白妙等、江東荒川堤の名花五十七種、大小とりどりの花瓶に盛られて陳列され、又正面には吉野山の全景を描ける大絵図を掲げたれば、満堂宛ら大花園の美観を呈し、尚ほ別室には桜譜、勿来関の碑刷、抱一・広重等の桜を主題とせる古画、林信充の飛鳥山十二景の詩歌、花信風等の桜に関する古幅、桜模様織物、其他図画写真等、此道の参考となるべき数々を陳列して、そゞろに人を耽看せしめ、桜の花と、桜の画とを今目の辺りに見せ乍ら、桜の詩歌を読ませつゝ、国華愛好の精神を盛ならしめんの趣向も仲々によし。斯くて講演に先ち、同会の会務報告ありて後、青淵先生・田尻市長、桜の研究家米人ウイルソン氏、高島平三郎氏・米人ハーデー翁・巌谷小波氏等の趣味溢るゝ許りの講演あり、午後六時頃散会したる由なるが、当日の来会者は徳川頼倫侯・大倉男等朝野知名の士二百余名、極めて奥床しき会合なりしと云ふ。
[後略]
『渋沢栄一伝記資料』第49巻p.331-332)

 さらに翌年、桜の会は帝国ホテルの新館設計者で桜の会会員でもあったフランク・ロイド・ライトの寄付で23本の山桜を購入、東京市に寄贈しました。

竜門雑誌 第三七一号・第五四 ― 五五頁 大正八年五月
○桜の会と少年会員 青淵先生の会長たる『桜の会』にては、都下の少年に国花たる桜の愛護心と且は花に対する公共的観念を助長せしむる為め、今春は特に少年会員の寄附金を以て小金井の山桜、荒川の八重桜・吉野桜・深井桜等を取交ぜ八十四本を購入し、尚ほ同会々員フランク・ロイトライト氏の寄附金にて山桜廿三本を購入し、之を全部東京市に寄附し、三月廿六日少年団の手に依りて四谷見附より市ケ谷見附の外濠、赤坂見附桜田門より半蔵門の内濠、五番町より九段上に至る宮城外濠及び日比谷公園躑躅ケ山へ夫々分配して増植せる由。
『渋沢栄一伝記資料』第49巻p.333)

「桜樹自費植付願」
「桜樹自費植付願」(1919(大正8)年3月18日)
簿冊「公園地 冊の4」(請求番号:303.C7.18
東京都公文書館所蔵(『伝記資料』未収載)

桜の会から東京市長に宛てられた申請書。フランク・ロイド・ライトの寄付で購入した山桜23本を「日比谷公園内御指定の位置に、寄附植栽」したい、との趣旨で、発信者名には桜の会会頭として渋沢栄一、同幹事として林愛作、戸川安宅の名が記されている。

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