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情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 【帝国ホテル. 14】 〔番外編3〕 『青淵先生六十年史』(1900)に見る帝国ホテル

 『青淵先生六十年史 : 一名近世実業発達史』は、渋沢栄一の還暦祝いとして1900(明治33)年に発行された伝記で、ここには栄一が関与した事業や企業・団体が200近く収載されています。刊行当時、栄一は帝国ホテルに取締役会長として関与しており、帝国ホテルについては次のように記されています。

『青淵先生六十年史 : 一名近世実業発達史. 第2巻』 (竜門社, 1900.02) p.303-304

第四十八章 ホテル業
    第一節 帝国ホテル
近年欧米各国人の本邦に来遊するもの年々多きを加ふるに拘はらす東京市中適当の宿泊所なく或は鹿鳴館に或は離宮に宿泊せしむることあるも之は身分あり資格ある人の場合に適するのみにして一般の旅行者には西洋軒、東京「ホテル」、築地の「メトロポリタンホテル」の外に適当の場所なく之れ等も到底多数の旅客を容るゝには足らす[。] 明治二十年時の外務大臣井上馨の勧誘により青淵先生、大倉喜八郎、益田孝、横山孫一郎等発起人となり一大完全なる「ホテル」建設の議を決し政府及宮内省の賛助を得[、] 地を麹町区内山下町に卜し資本弐拾六万五千円を以て建築に着手し建築請負を土木会社に托し明治二十三年十一月落成し開業せり[。] 其建築三層六百坪にして其室内装飾其他一般の設備東洋の一大「ホテル」たるに恥さるなり[。] 爾来有名の旅客は数多宿泊し天長節其他大宴会は数々此の場所に於て催さるゝに至れり[。] 併し乍ら「ホテル」業は客扱其他経済の整理に非常の技術を要し未だ適当の担任者を養成するに至らす[、] 或は外国人を雇入使用を試むるも未た満足を得す[。] 青淵先生は理事長(後取締役会長)として就任し百方経営に苦慮する所あり
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参考リンク

  • [栄一関連文献][文献解題] 『青淵先生六十年史 : 一名近世実業発達史』 【竜門社,1900】
    〔実業史研究情報センター・ブログ「情報の扉の、そのまた向こう」 - 2014年5月13日〕
    http://d.hatena.ne.jp/tobira/20140513/1399962260
  • [栄一ゆかりの企業] 【帝国ホテル】掲載予定(全16回)
    〔実業史研究情報センター・ブログ「情報の扉の、そのまた向こう」 - 2014年4月14日〕
    http://d.hatena.ne.jp/tobira/20140414/1397433298