『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』([青淵先生七十寿祝賀会], 1911)は渋沢栄一の古稀を記念して製作された写真集です。この写真集には70の企業・団体が掲載されており、帝国ホテルについては以下のように記載されています。
なお、この写真集製作が計画された1909(明治42)年2月当時、栄一は帝国ホテルの取締役会長職にありましたが、同年6月に帝国ホテルを含むほとんどの企業・団体から引退したため、解説にも取締役会長職辞任の旨が記されています。
『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』 ([青淵先生七十寿祝賀会], 1911)
株式会社帝国ホテル
一 所在地 東京市麹町区内山下町一丁目一番地
一 目的事業 内外貴賓の宿泊、賃席、宴会及之に附帯する業務
一 創立年月日 明治二十三年十一月三日
一 資本金 百弐拾万円(内払込高七拾五万円)
一 積立金 弐万参千円
一 壱箇年利益金 五万九千八百余円
一 配当率 年七分
一 沿革
明治二十年、時の外務大臣井上伯は、帝国の首都に於て外賓の需に応すへき旅館の設備なきを慨し、之を青淵先生に謀る、先生乃ち大倉喜八郎、横山孫一郎の諸氏と共に発起人となり、会社組織を以て資本金を弐拾六万円とし、地を麹町区内山下町に卜して建築に著手し、明治二十三年十一月を以て開業せり、当時我国の事情未だ海外に詳知せられす、交通亦今日の如く頻繁ならさりしを以て、来遊の外客少なく、加ふるに邦人未た洋式の宴会に馴れす、之を使用するもの甚た稀なりしを以て、其経営極めて困難なりしが、日露戦役後我国の名声大に国外に揚り、欧米人の観光視察等の為めに来遊するもの俄に其数を増加し、忽ち客室の不足を感するに至れり、於是同三十九年其資本金を増加して四拾万円とし新に客室を増築し、翌四十年「メトロポールホテル」を合併して資本金を六拾万円とし、次て更に之を倍加して百弐拾万円とし、益益業務を拡張し改良の実を挙けつつありと云ふ、
一 当社と青淵先生 [渋沢栄一] との関係
青淵先生は当社の発起者にして設立と共に理事長の任にあり、後定款変更後取締役会長となり、二十年間其経営統理に当られしが、昨四十二年古稀の齢を機とし之を辞せられたり、
一 現任役員
取締役会長 大倉喜八郎 常務取締役兼支配人 林愛作
取締役 原六郎 取締役 横山孫一郎
取締役 村井吉兵衛 取締役 若尾幾造
取締役 浅野総一郎 監査役 田中経一郎
参考リンク
- [栄一関連文献][文献解題] 『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』 【青淵先生七十寿祝賀会,1911】
〔実業史研究情報センター・ブログ「情報の扉の、そのまた向こう」 - 2014年5月19日〕
http://d.hatena.ne.jp/tobira/20140515/1400127715 - [栄一ゆかりの企業] 【帝国ホテル】掲載予定(全16回)
〔実業史研究情報センター・ブログ「情報の扉の、そのまた向こう」 - 2014年4月14日〕
http://d.hatena.ne.jp/tobira/20140414/1397433298