書誌事項
徳川慶喜公伝. 巻1-8 / 渋沢栄一著
東京 : 竜門社, 1918.01
8冊 ; 23cm
注記: 奥付は「巻8 索引」編のみにあり ; 発売: 冨山房 ; 天金, 表紙と背に金箔で徳川家三つ葵の型押し, 裏表紙に渋沢家柏紋の型押し
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解題
渋沢栄一は1893年(明治26)頃に旧主・徳川慶喜(とくがわ・よしのぶ、1837-1913)の伝記編纂を企図。当初旧友の福地源一郎(ふくち・げんいちろう、1841-1906)を主任に編纂を開始するが、福地没により中断。しかし栄一は諦めず、1907年(明治40)歴史学者の萩野由之(はぎの・よしゆき、1860-1924)を主任に編纂を再開。福地の草稿に拠らず新たに原稿を書き起こした。更に慶喜に取材する昔夢会(せきむかい)が17回開催され、慶喜は公伝原稿に丁寧に赤を入れた。そして慶喜没後の1918年(大正7)に全8巻の『徳川慶喜公伝』が完成し竜門社から出版された。栄一は伝記編纂の動機と経緯を序文に詳述し、萩野は編纂の経過と関わった多くの歴史学者らについて跋文にまとめている。
全8巻の構成は、第1-4巻が慶喜の伝記35章で、誕生から静岡移住に至る公人としての前半生に33章までが当てられている。各巻巻頭に肖像、書、書簡等の写真計116枚を掲げ、本文は各ページ上部に年月日と小見出しを付与、更に本文随所に典拠となる文書名等の分註を付記して読者の便をはかっている。
第5-7巻は附録として系図、年譜、文書の記録、引用書目を掲載。「文書の記録」は本文記述の典拠となった様々な書簡、手記、談話、建白書などの852に及ぶ文書記録を抜粋し、年代順に収載したもの。その文書名を50音順に並べたのが「引用書目」。第8巻は索引(人名、地名、史実)と、文書記録細目。
なお、桐箱入りで三方金を施した豪華版が渋沢史料館に伝えられている。また第1-4巻は平凡社から、活字を組みなおし判型を小さくした翻刻版が出版(1967-1968年)された。更に第5-8巻については東京大学出版会から、索引を除く部分を原本の版面のまま復刻し3巻にまとめた「史料篇」が刊行(1975年)されている。
跋文にあげられている、編纂に関わった人々
- 徳川慶喜(とくがわ・よしのぶ、1837-1913) : 被伝者
- 渋沢栄一(しぶさわ・えいいち、1840-1931) : 著者
- 穂積陳重(ほづみ・のぶしげ、1855-1926) : 顧問
- 阪谷芳郎(さかたに・よしろう、1863-1941) : 顧問
- 小林庄次郎(こばやし・しょうじろう、1877-1909):起草者
- 三上参次(みかみ・さんじ、1865-1939) : 監修者
- 萩野由之(はぎの・よしゆき、1860-1924) : 監修者、編纂主任
- 福地源一郎(ふくち・げんいちろう、1841-1906) : 旧稿編纂主任
- 江間政発(えま・せいはつ、1852-1916) : 旧稿より編纂員
- 渡辺轍(わたなべ・てつ?、?-1941) : 編纂員
- 藤井甚太郎(ふじい・じんたろう、1883-1958) : 編纂員
- 井野辺茂雄(いのべ・しげお、1877-1954) : 編纂員
- 高田利吉(たかだ・りきち、?-1939) : 編纂員
- 増田明六(ますだ・めいろく、1873-1929) : 庶務
目次
巻 | 項目 | ページ | ページ数 |
---|---|---|---|
第1巻 | 徳川慶喜公肖像(公爵時代七十歳頃) | 巻頭 | 41, 4, 5, 23, 2, 445p, 図版12枚 |
興山公遺詠 | 巻頭 | ||
自序 / 渋沢栄一 | 1 | ||
凡例 | 1 | ||
総目録 | 1 | ||
目次 | 1 | ||
写真版目次 | 1 | ||
[写真] | 巻頭 | ||
第一章 誕生及幼時 | 1 | ||
第二章 一橋家相続 | 21 | ||
第三章 相続前後の外国関係 | 108 | ||
第四章 将軍家継嗣の外議 | 197 | ||
第五章 亜米利加条約調印と公の登城停止 | 229 | ||
第六章 安政の獄と公の慎隠居 | 283 | ||
第七章 公の謹慎解除 | 359 | ||
第2巻 | 目次 | 1 | 21, 2, 457p, 図版20枚 |
写真版目次 | 1 | ||
[写真] | 巻頭 | ||
第八章 後見職就任 | 1 | ||
第九章 幕政改革及擁夷奉勅 | 89 | ||
第十章 上京及政令帰一の計画 | 184 | ||
第十一章 公武合体派の引退、尊擁派の詭激 | 243 | ||
第十二章 擁夷の為の帰府及後見職再度の辞表 | 306 | ||
第十三章 会薩連合と擁夷親征派の蹉跌 | 364 | ||
第十四章 再度の上京、朝議参予 | 401 | ||
第3巻 | 目次 | 1 | 24, 3, 576p, 図版24枚 |
写真版目次 | 1 | ||
[写真] | 巻頭 | ||
第十五章 禁裏御守衛総督就任 | 1 | ||
第十六章 蛤門の乱と公の禁闕守護 | 71 | ||
第十七章 筑波勢の西上と公の海津出陣 | 116 | ||
第十八章 長藩追討 | 157 | ||
第十九章 将軍の進発 | 197 | ||
第二十章 条約勅許 | 246 | ||
第二十一章 再度の長藩追討 | 297 | ||
第二十二章 宗家相続 | 358 | ||
第二十三章 将軍宣下 | 427 | ||
第二十四章 兵庫開港の勅許 | 486 | ||
第二十五章 長州処分及水戸改革 | 546 | ||
第4巻 | 目次 | 1 | 24, 5, 519, 10p, 図版43枚 |
写真版目次 | 1 | ||
[写真] | 巻頭 | ||
第二十六章 外交処分 | 1 | ||
第二十七章 政権奉還 | 49 | ||
第二十八章 諸大名召集 | 122 | ||
第二十九章 大坂城移徙 | 166 | ||
第三十章 辞官納地の紛議 | 200 | ||
第三十一章 鳥羽伏見の変 | 242 | ||
第三十二章 東帰恭順 | 287 | ||
第三十三章 水戸退隠及静岡移住 | 338 | ||
第三十四章 公爵の栄班及薨去 | 399 | ||
第三十五章 逸事 | 410 | ||
跋 / 萩野由之 | 1 | ||
第5巻 附録一 | 目次 | 1 | 28, 667p |
第一 将軍及三家三卿系図 附水戸藩本支系図 | 1 | ||
第二 年譜 | 9 | ||
第三 文書記録の一 天保十三年より文久三年まで [1-334] | 49 | ||
第6巻 附録二 | 目次 | 1 | 25, 522p |
第三 文書の記録の二 元治元年より慶応二年まで [335-649] | 1 | ||
第7巻 附録三 | 目次 | 1 | 19, 566p |
第三 文書の記録の三 慶応三年より大正二年まで [650-852] | 1 | ||
第四 引用書目 | 477 | ||
第8巻 索引 | 目次 | 1 | 1, 262p |
索引 | 1 | ||
文書記録細目 | 165 |
外部機関の所蔵データほか
NDL-OPAC 1,2 / CiNii Books 1,2 / Worldcat 1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17 / NDL Search / Webcat Plus / Googleブックス 1,2
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参考リンク
- 徳川慶喜公伝編纂 付.昔夢会 - 64.編纂・刊行:渋沢栄一伝記資料第58巻事業別年譜より
〔『渋沢栄一伝記資料』|渋沢栄一|公益財団法人渋沢栄一記念財団〕
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denkijigyo/np064.html#J-0999 - 昔夢会筆記 : 徳川慶喜公回想談
〔NDL-OPAC - 書誌情報〕
http://id.ndl.go.jp/bib/000001091159