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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 『孤山の片影』[山辺丈夫伝記] 【石川安次郎,1923】

書誌事項

孤山の片影 / 石川安次郎著
 渋谷町 (東京府) : 石川安次郎, 1923.04
 8, 2, 18, 18, 320, 2, 188, 12, 19p ; 23cm
 注記: Title in romaji: Kozan no hen'ei ; 印刷: 福音印刷 ; 定価7円 ; 天金 ; 表紙は布装丁に金の文字と藤の絵

解題

 津和野藩士山辺丈夫(やまのべ・たけお、1851-1920)は藩校に学び兵役を経た後、1870年(明治3)上京。同郷の学者西周の育英舎で洋学を学び教員となる一方、慶應義塾大阪分校にも学ぶ。1877年(明治10)旧藩主の養子亀井茲明(かめい・これあき、1861-1896)に随行して英国に留学し、ロンドン大学で経済学を学ぶ。紡績業起業を企図した渋沢栄一からの要請を受け機械工学に転じ、紡績工場の見学や実習も行い1880年(明治13)帰国。紡績会社設立の準備を進め、1882年(明治15年)大阪紡績会社創立に加わる。工場設備の整備、原綿輸入、製品輸出などに傾注し事業発展に寄与、1898年(明治31)同社社長。1914年(大正3)三重紡績との合併で東洋紡績が設立されると、山辺は初代社長となり1916年(大正5)まで務めた。大日本綿糸紡績同業聯合会委員長、大阪商業会議所の特別会員を歴任のほか社会公共事業にも尽力し、旧藩主亀井家には生涯忠義をつくす。緑綬褒章受章、従五位山辺は雅号を孤山と称する趣味人でもあり、文学、演劇、謡曲等にも造詣が深かった。
 本書は山辺の援助で慶應義塾に学んだ石川安次郎(1872-1925)が、山辺没後に申し出て編纂に当ったもの。山辺の生涯を30章に詳述した伝記「孤山の方影」と、「遺稿」として故人の洋行日記5編と書簡を掲載。続く「渡清記」は、1895年(明治28)紡績聯合会委員として上海に赴いた大阪紡績の山辺と平野紡績の金沢仁作が、清国工業を視察した記録。末尾に置かれた「孤山集」は、山辺と妻定子の詠じた和歌を定子の師佐々木信綱がまとめたもの。
 なお伝記「孤山の方影」第20章「東洋紡績会社の発展」末尾に、渋沢栄一が「懐旧」として寄せた次の和歌を載せている。「国の為めつくしし君を偲ふかな清く凉しき月にむかひて」(p193)

書影

孤山の片影

目次

項目ページ
口絵巻頭
総目次巻頭
序 / 石川安次郎1
本書の資料に付て / 著者7
挿画目次1
年譜1
目次1
孤山の方影[本伝]
  第1 山辺家の祖先1
  第2 養父善蔵氏9
  第3 実父清水格亮氏13
  第4 養子となる経路25
  第5 実母佐渡29
  第6 養母喜勢子33
  第7 少年時代38
  第8 軍人生活42
  第9 東京へ遊学49
  第10 大阪の小学教員69
  第11 教へ且つ学ぶ75
  第12 結婚81
  第13 玆明公の洋行に随行98
  第14 英国留学102
  第15 紡績業の研究117
  第16 留学中の定子夫人133
  第17 紡績会社設立の準備151
  第18 創業時代の辛苦162
  第19 大阪紡績会社の発達173
  第20 東洋紡績会社の発展188
  第21 機械購入の為め洋行194
  第22 事業上の打撃205
  第23 令息竜一氏211
  第24 亀井家へ尽忠227
  第25 育英及善行235
  第26 褒章246
  第27 我が工業の父257
  第28 趣味279
  第29 発病永眠葬儀285
  第30 追悼会建碑及び遺族303
遺稿目次1
遺稿
  明治十年洋行日記1
  明治十三年日記39
  明治二十年洋行日記(原文は英文)75
  明治三十三年洋行日記107
  明治三十九年北支那旅行日記148
  明治四十四年洋行書翰155
渡清記
  上海の視察1
  蘇州見物2
  上流にて接見せし人々3
  招待会4
  視察の結果5
  上海地方紡績事業視察報告書6
孤山集  
  山辺丈夫作1
  山辺定子作4
  孤山集跋 / 佐々木信綱17

外部機関の所蔵データほか

NDL-OPAC / CiNii Books / Worldcat / NDL Search / Webcat Plus / Googleブックス 1,2

参考リンク