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 『子爵渋沢栄一閣下米寿祝賀会記念録』 【子爵渋沢栄一閣下米寿祝賀会,1928】

書誌事項

子爵渋沢栄一閣下米寿祝賀会記念録
 [東京 : 子爵渋沢栄一閣下米寿祝賀会, 1928]
 2, 60, 67p, 図版3枚 ; 23cm
 注記: 米寿祝賀会: 1928年10月1日於帝国劇場並東京会館 ; 貼り込み図1枚 ; 渋沢栄一の肖像あり

解題

 渋沢栄一(1840-1931)の米寿を祝うため、全国の実業家有志は1928年(昭和3)10月1日に「子爵渋沢栄一閣下米寿祝賀会」を開催。同会は後日祝賀会の記念録として、表紙に青海波の描かれた冊子を刊行した。
 本記念録には栄一近影と当日撮影の写真を口絵に置き、続いて当日の次第、祝辞と祝賀記念計画発議および栄一挨拶、参加者名簿を掲載。その「次第」には、帝国劇場での祝賀会、東京会館での賀宴、そして帝国劇場での余興の内容と出演者が記されている。また「祝賀記念計画発議」では栄一銅像の建立が提案された。「参加者名簿」には131名の来賓、65名の発起人、約900名の会員、合計1,100名余の氏名を記載。以上が当日の記録で、更に附録として67ページにわたる「年譜」を付す。これは栄一誕生から89歳まで(1840-1928)の事績や身辺の出来事を、この祝賀会に際してまとめたもの。
[祝賀会で発議された栄一銅像建立は、参会者の賛同を得たことが『竜門雑誌』第481号に記載されている。この計画は栄一没後に(財)渋沢青淵翁記念会が引き継ぎ、同会は栄一の三回忌に当たる1933年(昭和8)に、常盤橋公園内に銅像を建設した]

書影

子爵渋沢栄一閣下米寿祝賀会記念録

目次(本文より採録

項目ページ
目次1
口絵巻頭
子爵渋沢栄一閣下ノ近影[昭和3年9月21日]巻頭
祝賀会式場ニ於ケル子爵渋沢栄一閣下ノ挨拶巻頭
祝賀会列席ノ来賓並ニ会員巻頭
東京会館祝賀宴会場ニ於ケル独逸大使ゾルフ閣下乾杯ノ光景巻頭
子爵渋沢栄一閣下米寿祝賀会記念録
一 次第書 昭和三年十月一日1
○ 祝賀会 午後五時開会於帝国劇場1
○ 賀宴 午後六時半開宴於東京会館1
○ 余興 午後七時半開演於帝国劇場2
一 あやかり三番2
二 西洋舞踊3
歌舞伎十八番ノ内 船弁慶3
二 賀詞 / 会員総代団琢磨殿朗読5
三 祝辞 / 来賓総代内閣総理大臣男爵田中義一閣下朗読9
四 祝賀記念計画発議 / 発起人総代男爵郷誠之助殿演説13
五 御挨拶 / 子爵渋沢栄一閣下演説17
六 賀宴ニ於ケル乾杯辞(訳文) / 独逸大使ゾルフ閣下演説28
Toast / Dr. W. H. Solf, German Ambassador30
七 賀宴ニ於ケル謝辞 / 子爵渋沢栄一閣下演説31
八 来賓芳名録33
九 発起人名簿41
一〇 会員名簿43
附録
子爵渋沢栄一閣下年譜 (自天保十一年 至昭和三年)1
*旧字は新字に直した

口絵「子爵渋沢栄一閣下ノ近影」に添付された「撮影要領」と「解説」

撮影要領撮影者常務取締役 技師長 菊地東陽
日時昭和3年9月21日
場所滝野川町子爵邸
使用乾板人像用オリエンタルプーレト
使用印画紙ヴンダイクブラウン
昭和3年10月
オリエンタル写真工業株式会社
渋沢子爵御写真解説此の御写真はオリエンタル写真工業株式会社の寄贈に係るものにして同会社は渋沢子爵の御斡旋に依り大正8年9月創立せられ爾来拾年既に各種のガスライト印画紙は之れが完成を見今や同社製品を以て輸入の大部分を防遏し其人像用印画紙に至りては全国写真営業家使用の約9割を占むるに至り今秋更にブロマイド印画紙と乾板の製造に成功し何れも舶来一等品に比し優越せるを確め得たるを以て更に進んでフヰルム製造の研究中にして化学工業中至難とせられたる写真用感光製品も今や国産を以て輸入を仰くの要なきに至りたるは之れ偏に子爵御高配の賜なりと深く感謝の意を表するものにして時恰も子爵米寿祝賀の催あるに際し同社は祝意の微衷を表する為め同社製乾板並にブロマイド印画紙を以て此御写真を調製し謹んで子爵に贈呈し之を記念として会員各位に御頒ち致すものなり
*外来語以外のカタカナはひらがなに、漢数字はアラビア数字に、旧字は新字に直した。

外部機関の所蔵データほか

Worldcat 1,2 / Googleブックス 1,2,3

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参考リンク