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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

『百二十年史』 【日産化学工業, 2007】

会社名/沿革

  • 日産化学工業(株) [Nissan Kagaku Kogyo Kabushiki Kaisha]
    [Nissan Chemical Industries, Ltd. ]

 1887(明治20)年、渋沢栄一、高峰譲吉(たかみね・じょうきち、1854-1922)らにより、日本初の人造肥料(化学肥料)製造会社として東京人造肥料会社の社名で創業。1893(明治26)年、株式会社となる。1910(明治43)年、大日本人造肥料株式会社に社名変更。1937(昭和12)年には日本産業株式会社[日産コンツェルン]傘下となり、日産化学工業株式会社に社名変更。同グループ内での吸収・再編を経て、1945(昭和20)年に改めて日産化学工業株式会社として発足。
[2018(平成30)年、日産化学株式会社に社名変更。2019(平成31)年現在は、化学、農業、医薬、電子材料などの分野に事業を展開している。]

社史メモ

 本社史は、創業から120周年を記念して制作されたもの。主に、創業からの歴史を振り返る「経営編」、主要製品について記した「製品編」および「資料編」の3編で構成。題字は、創業者渋沢栄一の曾孫である渋沢雅英が揮毫している。

栄一メモ

 農作物の生産性向上のため、人造肥料(化学肥料)の生産を進言する高峰譲吉に賛同した渋沢栄一は、東京人造肥料会社の創立委員、委員長(社長)となる。1893(明治26)年に取締役会長に就任。1909(明治42)年に職を辞したのちも、他社との合併問題の裁定者となるなど同社の発展を支援した。1898(明治31)年には功労者として同社より感謝状が贈られている。

  • 「1917年当社主催の高峰博士招待会での渋沢栄一と高峰譲吉」[写真] (p.23)
  • 渋沢哲学と当社の創業(p.25-26)
  • シリーズコラム:偉大なる先人たち. 1 渋沢栄一(p.27)
  • 工場全焼、渋沢委員長の決断により会社継続(p.36-37)
  • 渋沢会長の辞任申し出を受理(p.54-55)
  • 「渋沢会長辞任の際の記念撮影」[写真](p.55)
  • 創業者・渋沢栄一に裁定を依頼(p.64-66)
  • 「渋沢直筆の「裁定書」」[写真](p.66)
  • 新生の大日本人造肥料が成立[写真](p.66-69)
  • コラム:「国家の為めに」硫安進出に感謝した渋沢(p.79)
  • 歩み続けた120年、その原点を訪ねて[写真等](p.[348]-[349])
  • 【高峰博士招待会】[写真](p.[350])
  • 歴代社長「渋沢栄一」[写真](p.516)
    ほか栄一関連記述多数あり。

書誌事項など

百二十年史
 東京 : 日産化学工業 : 2007.05
 599p : 挿図, 肖像 ; 29cm
 注記 : 制作: 東洋経済リサーチセンター ; 印刷: 凸版印刷; 横組み

百二十年史

栄一関連情報

参考リンク