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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

『石川島重工業株式会社108年史』 【石川島播磨重工業, 1961】

会社名/沿革

  • 石川島重工業株式会社 [Ishikawajima Jukogyo Kabushiki Kaisha]

 1853(嘉永6)年、江戸幕府は欧米列強に対抗すべく、水戸藩に委託して石川島(現在の東京都中央区佃)に石川島造船所を設立。明治維新後は新政府の管理下となり、1872(明治5)年に石川島修船所が発足するが、1876(明治9)年、石川島における官営事業廃止に伴い閉鎖。同年、平野富二が修船所の施設、土地を借用し石川島平野造船所を創立。1889(明治22)年、有限責任石川島造船所となる。1893(明治26)年には、株式会社東京石川島造船所へと発展した。1945(昭和20)年6月、造船だけでなく総合機械メーカーとしてふさわしい名称とすべく、石川島重工業株式会社と改称。1960(昭和35)年、株式会社播磨造船所と合併し、石川島播磨重工業株式会社となる。[2007(平成19)年、株式会社IHIへ社名変更。]

社史メモ

 水戸藩の石川島造船所設立から石川島播磨重工業株式会社となるまでの108年間を記した社史。現況編、沿革史編、技術発展史編、諸表からなる1000ページを超える大著。沿革史編では、石川島飛行機製作所など同社が設立した関連会社についても詳しく書かれている。また巻頭グラビアや各ページのコラムなど本文以外の掲載情報も多数。監修は『渋沢栄一伝記資料』編纂主任でもある土屋喬雄。

栄一メモ

 平野富二から造船所へ資金融資を依頼された渋沢栄一は、平野らと匿名組合を組織し融資を行った。この匿名組合の資金を基に有限責任石川島造船所を設立。栄一は会社の議決機関である委員会の委員となった。株式会社となったのちは、取締役会長として1909(明治42)年に実業界を引退するまで同社の経営にあたった。栄一は同社の筆頭株主でもあった。
 また同社役員として栄一の次男武之助が監査役(石川島飛行機製作所社長)、三男の渋沢正雄が専務取締役(石川島自動車製作所社長)、孫の穂積律之助が取締役(東京造船所取締役)をつとめた。(括弧内は同社関連会社における役職。)

  • 会長 渋沢栄一[写真](p[110])
  • 渋沢栄一匿名組合をつくる(p254-255)
  • 渋沢栄一[コラム](p254-255)(p254に肖像写真、p255に書「業精于勤荒于嬉行成于思毀于随 昭和庚年十月 九十一翁青淵書」)
  • 新会社の創立(p255)(栄一の合本主義について記述あり)
  • 梅浦精一[コラム](p258-259)
  • 新会社の定款(p264)
  • ドック付属品の払下げと敷地30年間の借用(p265)
  • 会社創立当時の役員および職制(p266)
  • 社名の改称(p271)
  • 取締役制の採用と株主分布(p272-274)
  • 浦賀分工場開業式[コラム](p286)(栄一の演説について記述あり)
  • 両社合同経営の動き(p288-289)(栄一の浦賀船渠株式会社との合併交渉について記述あり)
  • 経営陣の異動(p315-316)
  • 平沢道次[コラム](p316-317)
  • 役員持株の変化(p318)
  • 念願かない駆逐艦の建造[コラム](p343)
  • 重役の異動(p396)
  • 当社の代表者の変遷[コラム](p469)

ほか栄一関連記述多数あり。

書誌事項など

石川島重工業株式会社108年史 / 石川島重工業株式会社社史編纂委員会編
 東京 : 石川島播磨重工業 : 1961.02
 1048p(図版共) ; 31cm
 注記 : 美術監修: 宮桐四郎 ; 印刷製本: 凸版印刷 ; 横組み

石川島重工業株式会社108年史

栄一関連情報

参考リンク