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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

『聖路加国際病院の100年』 【聖路加国際病院, 2002】

団体名/沿革

  • 聖路加国際病院 [Sei Ruka Kokusai Byoin]
    [St.Luke's International Hospital]

 米国聖公会の医療伝道事業として、1890(明治23)年に愛恵医院開設。1896(明治29)年、施設の移転を機に築地病院と改称し業務を継続していたが、院長の辞任により1899(明治32)年にいったん閉鎖。1900(明治33)年に着任した医師ルドルフ・B・トイスラー(1876-1934)を中心に1902(明治35)年より再開、病院名を聖路加病院と改める。1936(昭和11)年、財団法人聖路加国際メディカル・センター設立。戦時下の1943(昭和18)年、財団名を大東亜医道院、病院名を大東亜中央病院と変更。終戦後の1945(昭和20)年9月に財団名および病院名を聖路加国際病院に改称する。2013(平成25)年、財団名を一般財団法人聖路加国際メディカルセンターに改称。聖路加国際病院の事業は、2014(平成24)年に学校法人聖路加国際大学に譲渡される。財団は翌年一般財団法人聖路加財団となる。

団体史メモ

 病院名を聖路加病院と改めてから100年となる2002(平成14)年に刊行された。日野原重明理事長が編集委員長として執筆等編纂に関わる。構成は巻頭グラビア、関係者の「一〇〇年史発刊のことば」に続き全8編の本編と索引、年表等からなる。

栄一メモ

 1912(大正元)年、新病院建設のための後援会が発足。渋沢栄一は発起人のひとりとして参加した。翌年さらなる援助のため評議員会が組織され、栄一は副会長(のち会長)、会計監督となる。病院用地購入に関わるほか、病院が火災の被害に遭った際も援助を申し出ている。戦後は栄一の嫡孫であり日本銀行総裁であった渋沢敬三が理事(のち評議員)に就任している。

  • 第2編 聖路加国際病院とメディカルセンターの構想
    • 第1章 近代病院の建設 第2節 新病院建設計画後援会と評議員会の設置
      • 大隈重信伯評議員会会長に就任し、募金活動を開始、5万円が宮中から(p79)
      • 用地確保を推進(p79)
    • 第2章 関東大震災と復興 第3節 大火と再興
      • 「第2の火の洗礼」―仮病院の大火(p88)
  • 第3編 近代的病院の実現
    • 第1章 新病院完成 第3節 聖路加国際病院新館定礎式
      • 一歩前進(p99)
    • 第1章 新病院完成 第4節 本館奉献
      • 平和の宮殿(p100-101)
      • 渋沢栄一(1840-1931)[写真](p101)
  • 第4編 戦中・戦後の苦難をしのぐ
    • 第2章 戦後の接収と新体制へ 第1節 GHQに病院接収される
      • 新しい体制(p127)(渋沢敬三について記述あり)
      • 渋沢敬三(1896-1963)(p127)
    • 第2章 戦後の接収と新体制へ 第3節 仮病院での病院活動
      • 新しい病院理事会、評議員会の発足(p130)(渋沢敬三について記述あり)

書誌事項など

聖路加国際病院の100年 / 聖路加国際病院100年史編集委員会編
 東京 : 聖路加国際病院 : 2002.10
 368p ; 29cm
 注記 : タイトルは標題紙による ; 奥付のタイトル: 聖路加国際病院100年史 ; 並列タイトル: St.Luke's International Hospital : a history on the occasion of it's centennial ; 箱入 ; 横組み

聖路加国際病院の100年

栄一関連情報

参考リンク