情報資源センター・ブログ

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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 1887(明治20)年3月27日 (47歳) 大川平三郎と星野錫を米国に派遣 【『渋沢栄一伝記資料』第11巻掲載】

製紙会社、資本金を増して五十万円と為す。尋いで本社の隣接地に第二工場を増設、又大川平三郎を米国に派して製紙器械を買入れしめ、星野錫を米国に派して印刷業を研究せしむ。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 1部 実業・経済 / 3章 商工業 / 6節 製紙業 / 1款 抄紙会社・製紙会社・王子製紙株式会社 【第11巻 p.71-75】
・『渋沢栄一伝記資料』第11巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/11.html

1885(明治18)年頃、新聞や雑誌、小説翻刻の流行で紙の需要が著しく高まりました。当時、外国紙も相当量が輸入されていたものの、激増する需用に追いつかず紙の供給不足が発生。1886(明治19)年から1889(明治22)年にかけて、四日市製紙会社など製紙会社が次々に設立されました。
この製紙業勃興期に渋沢栄一が経営していた製紙会社(後の王子製紙)では、1887(明治20)年3月27日に臨時株主総会を開催、増資と第二工場増設を決定しました。工場増設にあたり、同社は製紙器械購入のために大川平三郎(おおかわ・へいざぶろう、1860-1936。実業家)を、印刷事業研究のために星野錫(ほしの・しゃく、1854-1938。実業家。王子製紙を経て東京印刷を創立)を、米国にそれぞれ派遣しています。
渋沢栄一伝記資料』第11巻p.72-73にはこれらの出来事が『王子製紙株式会社回顧談 一四、増資と明治二十年頃の製紙界』からの転載として紹介されています。
東京印刷株式会社専務取締役 星野錫君

東京印刷株式会社専務取締役 星野錫君
『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』([青淵先生七十寿祝賀会], 1911)掲載

 『青淵』第721号(2009.04)

渋沢栄一記念財団機関誌『青淵』の最新号が刊行されました。
渋沢栄一および財団関連記事は以下の通りです。

  • 渋沢栄一のことば】 谷鶯  栄一 …… 表2
      たゆたひて谷間はなれぬ鶯は
        野辺の霞の立つを待つらむ   (明治三七年)
  • 【今月の栄一】 4月「日米親善の連鎖たらんことを - 渡米実業団記念会」 : ゆかりの場所・名古屋/東京 …… p.27
  • 【書評】 見城悌治氏著『渋沢栄一「道徳」と経済のあいだ』 : 評伝日本の経済思想 / 橘川武郎 …… p.36-40
  • 渋沢栄一関連会社社名変遷図 〔8〕製綱・精煉業 …… p.41
  • 【「せいえんひろば」財団トピックス】 史料館で「江戸糸あやつり人形」を公演 ; 「渋沢家の雛祭り - 伝統文化と青い目の人形」講演会を開催 …… p.42-43
  • 【渋沢財団 史料館だより】 No.311 二〇〇九年度の渋沢史料館事業 …… p.46-47
  • 【史料館の窓】 第一国立銀行の錦絵を収集しています …… p.48

 1909(明治42)年3月27日 海上銀行 【『千葉銀行史』(千葉銀行, 1975)掲載】

海上銀行(うなかみ ぎんこう)のあった千葉県海上郡嚶鳴村は、現在の千葉県旭市になります。その地域にある旭町尋常高等小学校で渋沢栄一は1918(大正7)年9月22日に講演し、記念の植樹をしています(『渋沢栄一伝記資料』別巻第5 p.243-245)。また同じ日に旭町弘楽館では「論語と算盤」と題した講演を行っています(『渋沢栄一伝記資料』別巻第5 p.246-258)。
栄一の遺徳をたたえ、1985(昭和60)年、旭市には竜門社(渋沢栄一記念財団の前身)の海匝(かいそう)支部が創立されました。発会式の様子は『青淵』第436号(1985.07)p.16-18「海匝支部発会式余滴」(旭市長 八木金二郎)に、支部の概要は『青淵』第441号(1985.12)p.35「海匝支部だより」(支部長 飯田敞一)に掲載されています。
参考:海上銀行
〔銀行変遷史データベース - 銀行図書館〕
http://koueki.net/bank/details.php?bcode=533

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 『能登半島地震災害記録誌』/アイヌ資料(ロシア民族学博物館)

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