栄一ゆかりの地
明治元(1868)年12月23日(28歳)是より先十二月八日帰京の後凡そ十日公私の用務を整理し、同月十九日徳川昭武の親書並に渡仏一行の費用の勘定書を持して静岡に到る。是日前将軍徳川慶喜に静岡宝台院に謁して帰朝の復命を為し、昭武の親書を上る。慶喜内命…
1927(昭和2)年9月30日 (87歳)是日栄一、東京を発し静岡県修善寺に赴き一泊、翌十月一日、下田町玉泉寺境内に建設せられたるタウンゼンド・ハリス記念碑除幕式に出席し、演説をなす。二日帰京す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実…
1901(明治34)年9月4日 (61歳)是日、茨城採炭会社創立、栄一相談役に推さる。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 1部 実業・経済 / 4章 鉱業 / 2節 石炭 / 5款 茨城採炭株式会社 【第15巻 p.426-42…
1924(大正13)年8月 (64歳)是月栄一、大分県日田郡日田町に建設せらるる、松方正義徳政化俗碑の撰文並に揮毫をなす。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 9章 其他ノ公共事…
1896(明治29)年8月4日 (56歳)是日、当会社創業総会開かれ、栄一会長に推され議事を主宰し、取締役に選ばる。尋いで九月八日会社設立免許を申請し、翌三十年五月二十六日免状下附せらる。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力…
1889(明治22)年7月15日(49歳)是日臨時株主総会決議により栄一、相談役に選挙せらる。是より先当社は前年一月及び十一月、第一・二次の増資を行ひたるが、更に是年八月第三次増資を行ひ、資本金七十万円となす。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指…
1906(明治39)年7月7日(66歳)是より先栄一、奥羽地方開発のため雨宮敬次郎等と岩手県大船渡地方に鉄道を敷設し、併せて製鉄船渠業を創立せんと図り、是日大船渡築港鉄道株式会社創立委員となる。十月十六日其委員長に推され、爾後政府当局者に対し補助金…
1924(大正13)年7月11日(84歳)是日、フランス共和国人神父アー・ヴィリヨン、鮎川義介と共に飛鳥山邸に栄一を訪ひ、山口県山口町大道寺に於ける、ザベリヨ記念碑建設に対して援助を乞ふ。栄一乃ち三井・岩崎両家に申入れ、各三千円の寄付をなさしむ。大正…
1897(明治30)年7月5日(57歳)是より先、当会社の沼垂路線を繞つて新潟派・株主派間に軋轢を生じ、栄一この間にありて円満解決に腐心す。されど紛擾熄まず、是年五月栄一遂に他の株主派重役とともに監査役辞任を表明するに至りしも、是日臨時総会において…
1884(明治17)年6月(44歳)是月栄一、第一国立銀行京摂地方支店巡廻の途次、敦賀に至り、港内倉庫設備を一覧の後、八幡銀行頭取西川貞二郎等と、同地に倉庫会社を設立せんことを協議し、伏見に至りて同地の倉庫会社を視察し、更に四日市に於て倉庫会社設置…
1910(明治43)年6月2日(70歳)是日栄一、東京を発し桐生・足利・館林に赴き、各所に於て講演をなし、四日帰京す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 3部 身辺 / 6章 旅行 / 1節 国内旅行 【第5…
1917(大正6)年6月8日(77歳)是日、当院安房分院に於て磨崖碑竣工式行はれ、栄一当院院長として之に列席す。引続き新築せる同分院会堂に於ける楽翁祭に出席し、一場の演説をなす。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明…
1916(大正5)年5月11日(76歳)是日、福島県白河町町長及び有志、栄一を訪問し、大正天皇御大典記念として、同町に大礼記念楽翁公奉祀表徳会を組織の上、同町南湖に南湖神社建立を企画の旨開陳す。栄一之に賛同し、依頼に応じて当表徳会総裁たることを承諾…
1894(明治27)年5月7日(54歳)第四回鉄道会議是月三日より開かれ、是日栄一、会議に出席して加能鉄道会社発起につき審議す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 1部 社会公共事業 [実業・経済] / 8…
1887(明治20)年5月5日(47歳)是より先、二月二十七日附を以て京都織物会社創立願書提出中のところ、是日創立許可せられ、六月二十二日京都商工会議所に於て創立認許後第一回株主総会を開く。栄一、大倉喜八郎・益田孝と共に相談役に選挙せらる。尋いで七…
1912(明治45)年4月26日(72歳)是より先、小野金六・堀内良平等、富士駅より大宮・身延を経て甲府に至る鉄道を敷設せんことを計画す。栄一、其企画に賛成し、当会社創立に尽力す。四十四年六月二十三日免許を得、軽便鉄道法に依りて指定せらる。是日、当会…
1926(大正15)年4月15日(86歳)日本に渡来せる最初の基督教宣教師ハンガリー人ベルナルド・ベテルハイムの記念碑を琉球に建設せんがため、ベテルハイム記念事業委員会会長アール・アール・ブル、是日栄一に対し、同会を代表して金百円の寄付を乞ふ。栄一之…
1910(明治43)年4月9日(70歳)是日、渡米実業団第一回記念会、名古屋市に開催せらる。栄一出席す。爾後毎年記念会開催され栄一出席す。特に大正六年九月二十四日渡米実業団員中物故者追悼法会を上野寛永寺に営み、栄一弔辞を述ぶ。 出典:『渋沢栄一伝記資…
1915(大正4)年3月(75歳)是日栄一、渋沢事務所に於て、当農場顧問農学博士原熙の来訪に接し、当農場の経営に関し要談す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 2部 実業・経済 / 5章 農・牧・林…
1889(明治22)年3月(49歳)是より先、九州鉄道敷設計画の進捗に伴ひ其起点たる福岡県企救郡門司港開築の要あり。仍て初め同県当局に於て之れを企てしも其経費支弁に苦む所ありて、豊前六郡の有志者斎藤美知彦等相謀り会社事業として之れを経営せんとす。栄…
1913(大正2)年2月(73歳?)是より先、徳川頼倫・岡部長職・阪谷芳郎・岩崎久弥・三井八郎右衛門及び栄一等の発起により、奈良市郊外の朝堂院阯に標石二十八基を、又大極殿阯並に内裏阯に記念碑を建立し、之等を保存せんとする趣旨の下に、奈良大極殿阯保…
1930(昭和5)年2月(90歳?)是月、史蹟船上山を保存し、船上神社を修理増築せんとする目的を以て、船上山史蹟保存会設立せらる。栄一その顧問となり、在任歿年に及ぶ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−…
1893(明治26)年1月(53歳)徳島第八十九国立銀行岩下敏之を招聘す。栄一の斡旋する所なり。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 1部 実業・経済 / 1章 金融 / 1節 銀行 / 4款 国立銀行及ビ普通銀行 /…
1897(明治30)年1月(56歳)栄一秋田銀行の相談役と為り爾来同行のため尽力するところ多し。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 1部 実業・経済 / 1章 金融 / 1節 銀行 / 4款 国立銀行及ビ普通銀行 /…
1921(大正10)年1月20日(81歳)是日栄一、藤樹神社創立協賛会顧問たることを承諾し、且、金千円を寄付す。次いで寄付金募集其他を援助す。十一年五月二十日、自書の扁額を寄進す。顧問在任歿年に及ぶ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並…
1895(明治28)年12月(55歳)是月株式会社高岡共立銀行設立されしが、発起人等栄一に同行支配人を推薦せんことを依頼せるを以て、第一国立銀行行員大橋半七郎を推薦す。爾来栄一同行の為め尽力する所少からず。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導…
1940(昭和15)年11月24日 (没後9年)是日、長野県南・北佐久郡有志により、南佐久郡内山村の岩壁に鑿立せられたる、「渋沢青淵先生内山峡之詩」碑の除幕式挙行せらる。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−…
1915(大正4)年10月1日 (75歳)是より先、栄一、第一銀行広島支店・同熊本支店開業式参列のため西下の途次、山下亀三郎の懇請に依り、是日松山市に到り当校を参観し、終つて同市公会堂に於て、当校並に愛媛県立師範学校・同松山中学校・私立北予中学校・愛…
1916(大正5)年9月27日 (76歳)当神社拝殿落成し、是日祭典当日を卜し、献納の奉告祭行はる。栄一参列して演説をなす。又同拝殿内に掲ぐる扁額を献納し、記念樹を境内に手植す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治…
1884(明治17)年8月 (44歳)浅野総一郎等と共に盤城炭礦社を設立す。栄一会長たり。此後重任して明治二十六年十一月二十四日に至る。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 1部 実業・経済 / 4章 鉱業 …