情報資源センター・ブログ

情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

関東大震災と栄一の言葉

「渋沢栄一と関東大震災」更新:デジタルコンテンツ「企業資料から読み解く関東大震災」公開のお知らせ

「渋沢栄一と関東大震災」更新 2023年9月2日(土)、渋沢栄一記念財団のウェブサイトに掲載している「渋沢栄一と関東大震災」トップページに、下記を追加しました。 4. 関東大震災から100年:渋沢栄一と企業の記録から知る災害と復興(2023年)〔渋沢栄一記…

 「一見悪人の方が割がいいやうであるが、斯うした事が永久に繁栄を来すものではない。」(1927年5月)

記事タイトル : 憂ふべき社会相初出 : 『事業之日本』 第6巻第5号(事業之日本社, 1927.05) p.11-18 関東大震災からの4年弱が経過した1927(昭和2)年5月、渋沢栄一は『事業之日本』に寄せた一文の中で、関東大震災と復興に関連して次のようなことばを述…

 「己れを中心として、人の揚足取りのみを得意とする様では、夫の恐ろしい天譴を余りに早く忘れ過ぎたと見ねばなるまい。」(1925年9月)

記事タイトル : 天譴を余りに早く忘れ過ぎはせぬか初出 : 『人間世界』 ([出版者不明], 1925.01) p.11-18再録 : 『竜門雑誌』第436号 (竜門社, 1925.01) 「青淵先生説話集其他」 関東大震災からの1年半後の1924(大正13)年1月1日、渋沢栄一は『人間…

 「実力以上に高められた生活は浮薄であり、権利のみを主張して義務の履行を怠り、名誉を思うて責任を解せざるは利己である。」(1924年9月)

記事タイトル : 禹の心を心として天譴の後に処せ初出 : 『中外商業新報』第13826号 (中外商業新報社, 1924.09.01) p.11-18 関東大震災から1年後の1924(大正13)年9月1日、渋沢栄一は『中外商業新報』に談話を寄せています。その中で栄一は、古代中国の君…

 「復興するに付ては、余り大きな考へをすれば力不相応になるし、唯姑息の思案をすれば余りに規模の小さい仕事に行走る。」(1924年1月)

記事タイトル : 年頭所感初出 : 『竜門雑誌』第424号 (竜門社, 1924.01) p.11-18 震災翌年の1924(大正13)年、渋沢栄一が『竜門雑誌』に寄せた「年頭所感」の中には、関東大震災と復興に関連して次のような言葉がありました。 [前略] 今日我日本の経済は…

 「精神的の復興が出来なければ、真正なる復興を期する訳にはいかないと云ふ事を切に申して置きます。」(1923年11月)

記事タイトル : 大震災の追想と所感の一二初出 : 『銀行通信録』第76巻第455号 (東京銀行集会所, 1923.10) p.27-39 震災から2ヶ月後の1923(大正12)年11月、渋沢栄一が「大震災の追想と所感の一二」と題する一文を寄稿した『銀行通信録』が発行されまし…

 「今回の大震災は到底人為的のものでなく、何か神業のやうにも考へられてならない。」(1923年10月)

『渋沢栄一伝記資料』には、渋沢栄一の事績に関するさまざまな資料が収録されています。例えば災害・復興に関する記事を検索すると、栄一が明治政府出仕時代に行った救護に関する諸改革から、国内外の災害に際して行った救援事業などの記載を確認することが…