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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 「今回の大震災は到底人為的のものでなく、何か神業のやうにも考へられてならない。」(1923年10月)

『渋沢栄一伝記資料』には、渋沢栄一の事績に関するさまざまな資料が収録されています。例えば災害・復興に関する記事を検索すると、栄一が明治政府出仕時代に行った救護に関する諸改革から、国内外の災害に際して行った救援事業などの記載を確認することができます。
実業史研究情報センターでは、その中から関東大震災に関する記事を、数回にわたりご紹介することにいたしました。今回は関東大震災の翌月、1923(大正12)年10月に発行された雑誌に掲載された言葉を取り上げます。

記事タイトル : 大震災と経済問題
初出 : 『人と人』 (協調会, 1923.10)
再録 : 『竜門雑誌』第423号 (竜門社, 1923.12)

震災の翌月、渋沢栄一による「大震災と経済問題」と題する談話が協調会発行の『人と人』1923年10月号に掲載されました。栄一はその中で次のように述べています。

      一
 今回の大震災は実に我が文化史上に一時代を劃すべき不可抗力の一大厄災で、この非常時に対しては、当の罹災地たる東京、横浜、横須賀等の各市民は勿論、罹災地近県民のみでなく国民挙つて慎重な態度と、勇邁な精神とを以て臨まねばならない。[中略]
急を要すべき事業は多端であるが、[中略] 経済上に及ぼす影響は実に測り知るべからざるものがあらうと思ふ。私はこの方面に対して聊か私見を述べたい。
 災厄後、国民の頭に最も切実に響いたのは火災保険の問題である。法文の示す処に依ると斯る不可抗力の天災時には会社側には支払の義務がないやうであるが、併し今回の如き空前の大惨事に際会しては人心の安定上、徒らに法文をのみ墨守して実状を顧ない訳にはいかぬ。[中略] こは政府が会社側及び被保険者側の両面を顧慮し、事業擁護の理と人心安定の情とを併せ考へて、相当なる程度に於てこれを補助し、この荒廃せんとする罹災民に先づ一道の光明を与ふべきであらうと思ふ。尠くとも斯る非常時に際しては宜しく人道的に考へ国家的に見てこれを処断せなければならない。それが軈て会社を救ひ国民を助け、国家の経済的勢力を維持する所以である。
      二
 金融問題に関しても [中略] 保険と同じく銀行家と実業家との両面から観測して、金融暢達の道を誤らざるやうよく善断の処置を採らなければならない。[中略] 銀行業者も亦この商業区域一体が焦土に化した非常時に臨んでは、大災以前の好景況に対するが如き考へを抛棄して十分顧客の実情を忖度し、金融市場の大局から考へて融通すべきものは融通し出し惜しみ等の狭量を棄てて、速かに金融の疏通を謀らなければならない。又取引者側に於てもよく自分の実能力を顧慮し、濫りに実力以上の妄挙に出ないやうに慎まねばならない。
 又、倉庫業の方面を見ても、[中略] 法理のみに依つて人情を顧みないといふ訳には行かぬ。仮令へ荷主側に請求する権利がないとしても広く経済界の復興といふ点から考へて、応分の策を樹てて荷主側に同情のある解決を与へたいと希望するのである。
[中略] 何人もこの一千五十有余万坪の荒寥たる焦土を眺めては、茫然自失せざるを得ないであらう。が徒らに意気沮喪為す所を知らざる態であつてはならない。大に勇気を皷舞してこの不測の災厄に善処する処がなければならない。併し乍ら人は動もすれば危急に臨むと、周章の余り速断を下し勝ちなものであるが、それでは国家百年の計を樹てる所以ではない。急を要するもの程熟考しなければならないものである。[中略]
      三
 大震災突発以来、各地方では時を移さず救護団を組織して続々上京されたことは実に感謝に堪えない処である。[中略]
 又、諸外国の同情も、一朝この大災が報ぜられると翕然として蒐められた。[中略]
 斯の如く、単に国内と言はず広く諸外国の同情慰問を受けたといふのは、一面に於て今度の震災が、我が日本の経済的致命傷であつたばかりでなく、日本の文化発展の上に、一大頓挫を来した危機を物語るものであると云はねばならない。物質的損害の莫大であることは言ふ迄もないが、更に精神的打撃も亦容易ならざるものがあるのである。日本は明治維新から僅々数十年を出でずして世界列強の班に入つた。この長足の進歩は世界の均しく驚嘆する処である。と同時に我が国民の自ら顧みて衷心聊か自負する処が尠くなかつたと思ふ。私は近頃我が国民の態度が余り泰平に狎れ過ぎはしないかと思ふ。順調に進み平穏に終始すれば、勢ひ精神の弛廃するのは已むを得ない処かも知れないが、我が国民が大戦以来所謂お調子づいて鼓腹撃壌に陥りはしなかつたか、これは私の偏見であれば幸ひであるが、兎に角、今回の大震災は到底人為的のものでなく、何か神業のやうにも考へられてならない。即ち天譴といふやうな自責の悔を感じない訳には行かない。経書に、忠信以て之れを得、驕泰以て之れを失ふとあるが、国民が驕泰に馴れると得て殃の起り勝ちなものである。我が日本の文化は長足の進歩とは云へ、先進諸国に較ぶれば未だ大に遜色があるのである。この遜色を一掃して新たなる文化を醸成し、新興帝都の面目を名実共に完からしむるは、どうしても挙国一致の精神に基かねばならない。それには今回の帝都復興の大事業は最もよい国民試練の機会であると信ずるのである。
『渋沢栄一伝記資料』別巻第7 p.542-545掲載)