情報資源センター・ブログ

情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

栄一ゆかりの企業

 【帝国ホテル. 16】 〔番外編5〕 白石喜太郎著『渋沢栄一翁』(1933)に見る帝国ホテル

『渋沢栄一翁』は渋沢栄一の秘書白石喜太郎(しらいし・きたろう、1888-1945)により著された伝記です。執筆は栄一存命中から行われ、伝記として一冊にまとめられたのは栄一が他界してから2年後の1933(昭和8)年のことでした。本文は栄一の生涯を季節に譬え…

 【帝国ホテル. 15】 〔番外編4〕 『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』(1911)に見る帝国ホテル

『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』([青淵先生七十寿祝賀会], 1911)は渋沢栄一の古稀を記念して製作された写真集です。この写真集には70の企業・団体が掲載されており、帝国ホテルについては以下のように記載されています。 なお、この写真集製作が計画さ…

 【帝国ホテル. 14】 〔番外編3〕 『青淵先生六十年史』(1900)に見る帝国ホテル

『青淵先生六十年史 : 一名近世実業発達史』は、渋沢栄一の還暦祝いとして1900(明治33)年に発行された伝記で、ここには栄一が関与した事業や企業・団体が200近く収載されています。刊行当時、栄一は帝国ホテルに取締役会長として関与しており、帝国ホテル…

 【帝国ホテル. 13】 大倉喜七郎、渋沢栄一の葬儀で思い出を語る。「青淵大人から思ふやうにやつて見ろと云ふお言葉を頂きまして、さうして一先づ帝国ホテルの改革が出来たのであります」

1931(昭和6)年11月15日是月十一日栄一歿す。是日葬儀に際し、当会社取締役会長大倉喜七郎より弔詞を贈る。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 2部 実業・経済 / 3章 商工業 / 16節 ホテル / 1款…

 【帝国ホテル. 12】 渋沢栄一、寿像除幕式で訓示。「即ち凡そ事業は一人の力にて為し遂げられるものでなく、先づ第一に計画創業する人ありて、其の次に能力ある人が此れを受け継ぎ、始めて大成するものである」

1926(大正15)年7月13日是日、当ホテルに於て、栄一の寿像除幕式挙行せらる。栄一出席して謝辞を述ぶ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 2部 実業・経済 / 3章 商工業 / 16節 ホテル / 1款 株…

 【帝国ホテル. 11】 1922年、本館全焼。翌年に関東大震災。「未曾有の大震火災に遭遇しながら、難を免れしめ得た ... 私の創立以来の気持が遺憾なく遂げ尽された様な気がする」

1922(大正11)年4月16日是日、当ホテル地下室より出火し、本館全部を焼失す。栄一現場に臨みて、支配人林愛作を慰諭す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 2部 実業・経済 / 3章 商工業 / 16節 …

 【帝国ホテル. 10】 〔番外編2〕 喜賓会の解散。「古木を截り捨てゝ、より良き新芽を充分に発育せしむる」

1914(大正3)年3月11日是日、喜賓会解散式帝国ホテルに挙行せらる。栄一出席して挨拶を述ぶ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 3節 国際団体及ビ親善事業 /…

 【帝国ホテル. 9】 〔番外編1〕 桜の会。「青淵先生を会長とせる『桜の会』は四月廿三日午後三時より帝国ホテルの大広間に開かれたり」

1917(大正6)年9月25日是より先、国花たる桜を愛護し、以て公共的観念を助長し、併せてこれを外国人に紹介せんがため、徳川頼倫外数名の発起により、当会設立せらる。是日、帝国ホテルに於て、当会会合開かれ、栄一その会長に推さる。 出典:『渋沢栄一伝記…

 【帝国ホテル. 8】 渋沢栄一、引退後も帝国ホテルの経営に意見を述べる。「ホテル業は一国の経済にも関係する重要な事柄。外来の御客を接伴して満足を与ふるやうにしなければならぬ」

1910(明治43)年1月15日是日栄一、当ホテルに於ける当会社重役会に出席し、ホテル経営に関して意見を述ぶ。爾後栄一、屡々当会社重役会及び其他の会合に出席し、又、内閣総理大臣桂太郎・農商務大臣大浦兼武・宮内大臣波多野敬直等を訪問する等、当会社のた…

 【帝国ホテル. 7】 渋沢栄一、林愛作を支配人に斡旋。「結構、林愛作のホテルで充分思ふ様に経営してもらひたい」

1909(明治42)年7月16日是日栄一、山中商店ニュー・ヨーク支店主任林愛作を、当会社の取締役兼支配人として起用する件に関し、松本重太郎に書翰を送り、其尽力を依頼す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−…

 【帝国ホテル. 6】 渋沢栄一、帝国ホテルの取締役会長を辞任。「愛児の如く思われ、特に懐しい心地がする」

1909(明治42)年6月6日是年栄一、古稀に渉るを以て第一銀行他少数の関係を除き、諸事業よりの引退を決意し、是日株式会社帝国ホテル取締役会長を辞す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 1部 実業・…

 【帝国ホテル. 5】 メトロポール・ホテルと合併、「株式会社帝国ホテル」に社名変更

1907(明治40)年1月25日是日帝国ホテル株式会社、メトロポール・ホテル合併して株式会社帝国ホテル設立さる。栄一引続き取締役会長たり。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 1部 実業・経済 / 3章 商…

 【帝国ホテル. 4】 定款改正。渋沢栄一、取締役会長に就任

1893(明治26)年10月24日是日株主臨時総会を当会社に開き、商法の施行に伴う定款の改正を議す。尋いで十二月十六日定款改正を農商務大臣伯爵後藤象二郎に願出で、同二十九日認可を得、帝国ホテル株式会社と改称す。栄一取締役会長に就任、以後毎期重任して…

 【帝国ホテル. 3】 開業。「明治二十三年から四十二年迄…此れが経営に従業したが少しも此事業の進歩を見ない」

1890(明治23)年11月3日是日有限責任帝国ホテル会社開業す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 1部 実業・経済 / 3章 商工業 / 27節 ホテル業 / 1款 株式会社帝国ホテル 【第14巻 p.382-386】 『渋…

 【帝国ホテル. 2】 建築準備を開始。「西洋の真似ばかりするのも面白くない、さりとて純粋の日本式では御客の外人が困まる事であらう」

1887(明治20)年12月14日是日栄一、東京ホテル発起人総代として大倉喜八郎と連署して、日本土木会社内に仮事務所設置の件並に事務開始の件及び役員氏名を東京府知事に届出づ。栄一理事長たり。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業…

 【帝国ホテル. 1】 渋沢栄一、ホテル創立願を提出。「国際親善に資し、国交上に裨益するように」

1887(明治20)年11月28日是より先、栄一等外人の宿泊に充つる等の目的を以て有限責任東京ホテルの創立に力め、是日発起人総代として大倉喜八郎と共に連署して会社創立願を東京府知事に提出す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業…

 カテゴリー「栄一ゆかりの企業」新設のお知らせ

このたび本ブログに「栄一ゆかりの企業」というカテゴリーを新設することにいたしました。これまで「今日の栄一」「ゆかりの地」として渋沢栄一の幅広い活動を紹介してまいりましたが、新しいカテゴリーでは『渋沢栄一伝記資料』から「企業」を切り口として…