情報資源センター・ブログ

情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 【帝国ホテル. 1】 渋沢栄一、ホテル創立願を提出。「国際親善に資し、国交上に裨益するように」

1887(明治20)年11月28日
是より先、栄一等外人の宿泊に充つる等の目的を以て有限責任東京ホテルの創立に力め、是日発起人総代として大倉喜八郎と共に連署して会社創立願を東京府知事に提出す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 1部 実業・経済 / 3章 商工業 / 27節 ホテル業 / 1款 株式会社帝国ホテル 【第14巻 p.377-380】

 1887(明治20)年当時、海外からの賓客をもてなす施設としては鹿鳴館がありましたが、宿泊機能は十分とは言えず、近代国家の首都機能として外賓が宿泊しうるホテルの設立が急務となっていました。1887(明治20)年11月28日、渋沢栄一大倉喜八郎(おおくら・きはちろう、1837-1928)と連署東京府にホテルの創立願を提出しました。創立願に添付された「東京ホテル定款」には、創立目的が「当会社ノ営業ハ一大旅店ヲ東京ニ建築シ、内外貴紳ノ客次ニ充テ、又ハ宴会等ノ用ニ供シ、宿泊料及貸席料ヲ収得スル」ことと記されています。なお、このときの社名は「東京ホテル」となっていますが、近隣に同名の「東京ホテル」があったため、開業時には「帝国ホテル」と変更されました。

会社創立御願
「会社創立御願」
簿冊「(普通第2種) 願伺届録・会社(規則)・綴洩・6冊ノ内 〈農商課〉」(請求番号:616.C6.11)所収
東京都公文書館所蔵
 >> 『伝記資料』における翻刻(第14巻p.377-378)

 渋沢栄一がホテル創業を志した経緯については、犬丸徹三(いぬまる・てつぞう、1887-1981)がその回想のなかで、栄一の言葉として次のように紹介しています。

竜門雑誌  第五二一号・第一〇八 ― 一一〇頁 〔昭和七年二月二五日〕
    追慕(犬丸徹三)
[前略]
 自分 [渋沢栄一] が此ホテルの創設を志したのは、明治二十年即条約改正の年で、当時我国の朝野は、挙げて条約改正といふ大目的に向つて努力し、政府の施設は法制も刑政も大いに整ひ、列国と同等の条約を締結し得る迄に国力は充実して来たが、一度民間の諸施設に眼を転ずれば、尚振はざること夥しく、列国に伍すれば赤面せざるを得ない状態であつた。
 私は政府ばかりが騒いで条約上の対等といふ様なことが実現されても、之ではいけない、外国人が来て笑ふではないか?どうしても民間の施設も充分に備へて外国人が来ても恥しからぬ様にしなければならないと思ひ、微力ながら民間諸事業の振興に尽して来た。此ホテル創設の趣旨も全く同様で、外国人が日本に来て、枕を高くして休み、充分に旅愁を慰められるホテルが欲しい、民間の一小施設に過ぎないが所詮は之が国際親善に資し、国交上に裨益する様にし度いといふ考へから同志と協力して作つたものである。[後略]
『渋沢栄一伝記資料』第14巻p.379-380掲載)

参考リンク