情報資源センター・ブログ

情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 「己れを中心として、人の揚足取りのみを得意とする様では、夫の恐ろしい天譴を余りに早く忘れ過ぎたと見ねばなるまい。」(1925年9月)

記事タイトル : 天譴を余りに早く忘れ過ぎはせぬか
初出 : 『人間世界』 ([出版者不明], 1925.01) p.11-18
再録 : 『竜門雑誌』第436号 (竜門社, 1925.01) 「青淵先生説話集其他」

関東大震災からの1年半後の1924(大正13)年1月1日、渋沢栄一は『人間世界』に次のような談話を寄せています。

三七八 竜門雑誌  第四三六号 大正一四年一月
  青淵先生説話集其他
○中略
   天譴を余りに早く忘れ過ぎはせぬか
 歳月人を待たず、早くも二ケ年を経過した。一昨年九月一日を顧みれば実に惨憺たるもので、聞くも語るもみな涙の種である。日本全体とは申されないかも知れないが、少くとも東京を中心とした近郷近在には一大障害を与へたので、何共遺憾の極みである。ソコデ思ひ起すのは
  「恢復何時見革新。劫余文物奈灰塵。又驚聞序勿々去。歳月無情不待人。」
と謂ふ詩である。
 私は此震災を迷信的に解釈して、今時の国民は少し浮れ過ぎるから天が斯様な罰を与へたもので、謂はば天譴ではないかとも考へる。私は過般銀行倶楽部に於ける加藤首相、浜口蔵相の招待会席上でお話したことだが、白河楽翁は或は浜口さん以上の倹約を断行したかも判らん。私共は倹約を一つの主義としてゐるから奢侈品税を課せらるるとも左程の苦痛を感ぜないが、同じ倹約奢侈品防遏でも、白河楽翁が成功して水野越前守が見事失敗した。即ち楽翁の倹約成功に拠つて天明寛政のアノ大改革を成し遂げたと謂ふ点は注意すべきである。
 按ふに、楽翁、越前守両者共其考へは同じでも、一方は忠実に一方は策略であつた。越前守の倹約は即ち此点に於て破れたのである。浜口さんの御考へも楽翁同様、何等の策略なくして忠実であつて貰ひ度い。今日の如く世の中が術数にのみ走つて来ては、何等かを以て防禦しなければならない。ソコデ互ひに相欺いて世の中を送ることになるが、其前途や真に寒心に堪へないものがある。復興局の方々も誠心以て事に当つて居らるるとは思ふが、兎角其運びが遅々としてゐる。果して真目面で遣つて居らるるや否やを疑問とせざるを得ない。その中には前申す術数策論がありはせぬか、水野越前守たるものがありはせぬか。
 更に考へて見れば、現在の政治界、経済界又社交上にも情実が多い様に思ふ。今日の新しい事は悉くが悪いとは謂はぬが、物は比較対照せなければ判らぬもので、此の比較をやつて見ると、概して悪いことが多いやうにも考へられる。過去三百六十五日、完全に其の日其の日を改善して来たとは如何にしても思はれぬ。アノ震災当時のことも、月日を経るに随つて雲の様に消えてしまつて、自分の都合のみを主として他を顧みないと謂ふ風がありはしないか、又之が一般の観念であり智識の最上点と心得て居る様にも思はれる。
 要するに新春を迎へると共に、自然の空気、一般の気合が緊張して欲しいものである。己れを中心として、人の揚足取りのみを得意とする様では、夫の恐ろしい天譴を余りに早く忘れ過ぎたと見ねばなるまい。吾々国民は更始一新する事が必要である。(一月一日人間世界所載)
『渋沢栄一伝記資料』別巻第8 p.7)

なお、『竜門雑誌』記事には初出として『人間世界』と付記されていますが、同誌の詳細については不明です。