出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 5節 外賓接待 / 15款 其他ノ外国人接待 【第39巻 p.195-197】
・『渋沢栄一伝記資料』第39巻目次詳細 (オリジナル・カタカナ表記)
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/39.html
『伝記資料』第39巻p.196には、この時の様子が次のように紹介されています。
中外商業新報 第一二二五一号大正九年五月一日
[前略]日米の大国旗が風に翻り、眺望絶佳な庭園の芝生には天幕張ながら御殿風の食堂が設けられ、内部は爛漫たる桜と杉の青葉に飾られ周囲は淡紅と白の幔幕で囲らしてある[後略]
「日米有志協議会」のアメリカ側代表は、ヴァンダーリップを始めとするニューヨークやアメリカ東海岸の実力者によって構成されていました。協議会の活動については、渋沢雅英著『太平洋にかける橋 : 渋沢栄一の生涯』(東京 : 読売新聞社, 1970.12)第9章「日米関係委員会」に詳しく描かれています(NDL-OPAC / Webcat)。
参考:[今日の栄一] 1920(大正9)年4月24日 (80歳) 日米有志協議会
〔実業史研究情報センター・ブログ 「情報の扉の、そのまた向こう」〕
http://d.hatena.ne.jp/tobira/20080424/1208999435
*綱文を読みやすくするため、固有名以外のカタカナ表記をひらがなに直して掲載しております。