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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1890(明治23)年5月22日 (50歳) 日本パノラマ館開場 【『渋沢栄一伝記資料』第27巻掲載】

是より先栄一、大倉喜八郎等と謀り、有限責任日本パノラマ会社を創立、東京浅草公園内に大パノラマ館を建設し、是日開場す。明治二十六年十二月会社を解散し、財産を総て佐々松賢識に譲渡す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 2部 社会公共事業 / 5章 学術及ビ其他ノ文化事業 / 2節 演芸及ビ美術 / 3款 日本パノラマ会社 【第27巻 p.403-408】
・『渋沢栄一伝記資料』第27巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/27.html

「パノラマ」とは、環状に配置した絵画と現物資料を照明・演出を駆使して見せる、円形の施設です。
1867(慶応3)年、渋沢栄一徳川昭武随員としてフランスに滞在した際の見聞が記された『航西日記』の中にも、パノラマ館に関する記載があります。

西洋五月七日 晴。朝パノラマに到り。伊澳戦争の時国援兵を出し勝利ありし図を看る。
シヤンセリセイ博物堂の側に在り。周囲円形にて亘り凡十間西方なるへく。入口にて傘杖を預り。木戸銭一人前一フランク宛なり。中央より。階子にて螺旋らせん・メグリして登る。上れハ堂の中央最高き所に出る。其所ハ山の嶺にし。其傍に大砲小銃破裂せし或ハ弾丸の割たる抔ありて其実況をしる。[中略]其摸写精巧なれハ人をして実境にあふ想を起さしめ。頻りに。やく腕唾手などするものもあるいとおかし。[後略]
(『航西日記』巻之二 第26-35丁。『渋沢栄一伝記資料』第1巻p.492掲載)

「日本パノラマ館」は、同じく5月に開館した「上野パノラマ館」に続く日本で2番目の施設で、開館時には南北戦争をテーマに、グラント将軍が戦地で実際に使用したテントや武器も展示されました。上野で開催されていた第3回内国勧業博覧会に合わせ、工学士・新家孝正(日本土木会社)の手により、急ピッチで建設が進められたということです。
参考:日本パノラマ舘ノ結搆 / 新家孝正 (『建築雑誌』Vol.5, No.58(18911028) pp. 239-243)
〔CiNii〕
http://ci.nii.ac.jp/naid/110003780689/