情報資源センター・ブログ

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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 1928(昭和3)年8月6日 (88歳) 日本国際児童親善会における関屋竜吉の報告 【『渋沢栄一伝記資料』第38巻掲載】

是日当会委員会、渋沢事務所に開かる。栄一出席し、委員長として挨拶を述ぶ。親善人形を携へて渡米せる関屋竜吉出席して其報告をなす。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 3節 国際団体及ビ親善事業 / 22款 日本国際児童親善会 【第38巻 p.165-168】
・『渋沢栄一伝記資料』第38巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/38.html
1927(昭和2)年、アメリカの子供たちから日本の子供たちへ、ひな祭りにあわせて青い目の人形が贈られました。そのお礼に日本からも同年、クリスマスプレゼントとして58体の答礼人形が贈られました。その答礼人形をアメリカに届ける役割を担っていたのは、前の文部省普通学務局長 関屋竜吉(せきや・りゅうきち、1886-?)でした。関屋は人形とともに11月に日本を発ち、全米各地での歓迎会のため人形とともに巡回、翌1928(昭和3)年7月に帰国しています。
渋沢栄一伝記資料』第38巻p.124-129に掲載されたギューリックの手紙から、その歓迎会の様子の一端を見ることができます。

東京市
  子爵 渋沢栄一閣下
              紐育、 一九二八年一月二十日
                 シドニー・エル・ギユーリツク
[前略] 小生は市俄古[シカゴ]まで関屋氏を出迎に参り、同地の歓迎会の成功の為め微力を尽し候、市俄古の新聞紙は挙つて人形の写真を掲載致候、[中略] ボルチモアオハイオ鉄道会社にては、関屋氏が大陸を横断して持参せし十七個の人形を引受け、特別客として会社最良の列車にて市俄古より華府[ワシントン]まで運搬致し、その後一週間を経て華府より紐育[ニューヨーク]まで運搬致し呉れ候
華府に於ける主なる歓迎会は、ナシヨナル劇場に於て挙行せられ候処児童及大人にて満員の盛況を呈し候、此時松平大使は進呈の言葉を述べられ、ジエー・ジエー・デヴヰス労働長官は、米国民を代表して受領の挨拶を致候、右両氏の児女は各日米両国児童を代表して演説する処有之、尚ほ両児の間に代表人形の授与式行はれ候が、極めて美しき会に有之候き [後略]

参考:渋沢史料館テーマ展シリーズ“平和を考える"「渋沢栄一と青い目の人形 ―81年前の“The Doll Project”―」
渋沢栄一記念財団 渋沢史料館〕
http://www.shibusawa.or.jp/museum/event_theme.html
同展では8月4日より、2008年度渋沢史料館博物館実習生による展示「桜の咲く国から星の国へ〜渋沢栄一と答礼人形〜」が始まりました。ナショナル劇場(ワシントン)における歓迎会プログラム、「人形を送る歌」の楽譜、またアメリカ国内での巡回行程パネルや写真パネルなどを展示し、現地での人形歓迎の様子を紹介しています。