情報資源センター・ブログ

情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1912(大正元年)年8月27日 (72歳) ノーヴォエ・ヴレーミヤ紙記者エゴロフとの対談 【『渋沢栄一伝記資料』第39巻掲載】

是日、日露協会会頭寺内正毅ロシア帝国ノーヴォエ・ヴレーミヤ紙記者エゴロフを、麻布の自邸に招きて晩餐会を催す。栄一出席して、エゴロフと対談す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 5節 外賓接待 / 15款 其他ノ外国人接待 【第39巻 p.85-86】
・『渋沢栄一伝記資料』第39巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/39.html

渋沢栄一伝記資料』第39巻には、寺内正毅(てらうち・まさたけ、1852-1919)邸での晩餐会において、ロシアの新聞記者エゴロフと渋沢栄一の間で日本の海外移住政策が話題となったことが、栄一自身の言葉として次のように紹介されています。

竜門雑誌  第二九二号・第二三―二四頁 大正元年九月
    ○寺内伯邸の外賓饗筵に於て
      (青渊先生の諧譃)
[前略] エゴロフ氏が斯う云ふ事を言つた。日本の土地は誠に能く拓けて居つて、総ての作物が満足に出来て居るやうに見受ける。併し人口の増加が甚だしい国だから、これでも尚ほ追々に食物が足りなく為りはせぬかと思ふ。将来日本の為めに考へると左の二・三の策に出る外ないと思ふ。其一は仏蘭西流義に成べく人口を殖さぬやうにするか、其二は人口の増殖は到底防ぐ能はずとすれば他に大きな土地を取るやうにするか、左なくば国民を盛に他に移住させる策を講ぜねばならぬ。蓋し此意味は、日本は頻に他に向つて発展策を講じつゝあるではないか、と云ふことを諷刺するのではないかと想像された。夫れに対して寺内伯も答へられたが、私が傍から諧譃的にお話をしたので一座大笑となりました。[中略] エゴロフ君は西比利亜鉄道で広漠たる原野を通つて御座つた眼で、日本の耕作の有様を御覧になつたから、総ての農作物が能く稔つて地力を尽して居るやうにお感じなされたか知らぬが、私自身は原と農民で耕作の事には経験がある。加之ならず耕作地に施す肥料製造会社を創設し、 [中略] 人造肥料に由つて、例へば米麦等の生産物が今迄の作柄より一倍に増加すると仮定すると、詰り日本の面積が同じく一倍に増加した訳です。故に遠き将来にはエゴロフ君の懸念するが如き事がないとは謂はれぬけれども、日本の耕地面積が倍以上になるものとすれば、急に人口の繁殖を防ぐとか、或は他に移住地を求めねばならぬと迄懸念せぬでも宜いやうに思ひます。といふたら氏は成程さう云ふお考もありませうが、私は日本の耕作地が肥料に由つて俄に一倍に為る程の結果を来たすことが出来るとは信じ難く思ひますと云つて笑つて居つた、[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第39巻p.85-86)

この記事で、エゴロフは「ノーヴォエ・ヴレーミヤ紙 [Новое время] の記者で、ロシアに設立された日露協会の幹事」と紹介されていますが、残念ながら『渋沢栄一伝記資料』からはこれ以上のプロフィールは確認できません。
参考:寺内正毅
〔近代日本人の肖像 - 国立国会図書館
http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/137.html
[今日の社史年表] 1887(明治20)年2月28日 東京人造肥料 【『八十年史』(日産化学工業, 1969)掲載】
〔実業史研究情報センター・ブログ 「情報の扉の、そのまた向こう」 - 2008年2月28日〕
http://d.hatena.ne.jp/tobira/20080228/1204161428