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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 1922(大正11)年8月28日 (82歳) 張謇 【『渋沢栄一伝記資料』第55巻掲載】

是月二十一日、栄一、渋沢事務所に於て、中華民国実業家張謇の特使章亮元・張同寿・陳儀の来訪に接し、通州に於ける棉花栽培等の事業資金融通につき援助を請はる。二十三日、当協会幹事会に於て評議の結果、我国紡績業者の協力を求むるに意見一致し、是日栄一、東洋紡績株式会社社長斎藤恒三に書翰を送り、右に関し打合せのため上京を促す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 2部 実業・経済 / 6章 対外事業 / 2節 支那満洲 / 6款 日華実業協会 【第55巻 p.193-196】
・『渋沢栄一伝記資料』第55巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/55.html

張謇(Zhang Jian、ちょうけん、1853-1926)は、その多面的な活動内容から渋沢栄一と比較研究されている中国南通地方の実業家です。
栄一と張謇は直接の面識はありませんでしたが、栄一は張謇の訃報に接して以下の文章を『竜門雑誌』に載せています。

竜門雑誌    第四五六号・第六―八頁 大正一五年九月
   三知人の訃音に接して     青渊先生
○上略
      二、張謇氏
張謇氏は支那南通州の実業家である。私はまだ会つたことはないが其の訃音を聞いては、会つて居ないだけに遺憾の念が強かつた。[中略] 大正十一年であつたかと思ふが、突然詳細の手紙を寄こし、且章亮元・張同寿・陳儀と云ふ三人に委任状を持たせて来訪させた。其の主旨は
『実は金融をして欲しいと思ふのであるが、力を添へてもらへないでせうか。それは日本から自分の経営して居る事業に三百万円程借入れたい。そして追々日支経済上の聯絡を図りたいと思ふ。未だ会つたことはないが、貴方は日本国家の為め、又経済界発展の為めに力を尽して居られるさうで、誠に結構なことである。私は民国で事業をやり、関係地方で色々の仕事をして居る者であるが、今後は出来るだけ力を添へてもらひたいと思ふて居ります。国と国との交りには、両国の相当の人物が相知ることが必要であります。即ち貴方と私が相知ることは、日本にとつても支那にとつても必要である。依て以て先づ経済問題で互に利益を増し、事業を進めるならば、結局両国の親善はいよいよ増進するであらう』
 と誠に辞令に巧みな申越しであつたので、私は使として来た人々にも会つて見た。そして借金の方は心配してもよいと云ふことにして、棉花栽培の事情など色々聞いて見、其点に就て詳しく話がしたいと使の人々に内意を伝へて置いた [中略] それにしても張謇氏の逝かれしことは残念である。序でに支那に対する事業に就て云へば、中日実業東亜興業等着々仕事を進めては居るが、なかなかに要領を得ない状態にあるので、張謇氏との提携事業を実行して居つたなら、うまく行つたのではなかつたかと思ひ、遺憾の念が一層に深い訳である
○下略
(『渋沢栄一伝記資料』第55巻p.194-196)

参考:2005年渋沢国際儒教研究セミナー「中日近代企業家の文化事業と社会事業 -渋沢栄一と張謇の比較研究-」
渋沢栄一記念財団 研究部〕
http://www.shibusawa.or.jp/research/support.html

中日近代企業家の文化事業と社会事業 : 渋沢栄一と張謇の比較研究 : 要旨集 (渋沢栄一記念財団, 2005.04)
〔NACSIS Webcat
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BA81730397
張謇と澁澤栄一 : 日中近代企業者比較論 / 中井英基
一橋大学機関リポジトリ HERMES-IR〕
http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/11223