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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1911(明治44)年8月29日 (71歳) 島田三郎、新渡戸稲造を飛鳥山邸に招待 【『渋沢栄一伝記資料』第33巻掲載】

是より先、当会、アメリカ合衆国カリフォルニア州に起れる邦人排斥問題善後策の一として、日本の実状を紹介し、在米同胞発展の状況を視察し、且つ指導助言を乞はんがため、島田三郎を招待し、且つ更に他の人選を栄一に依頼す。仍つて栄一、交換教授として渡米する農学博士・法学博士新渡戸稲造に乞ひて、カリフォルニア州に滞在し島田を援助せしむる事となす。是日栄一、両名を飛鳥山邸に招じて送別午餐会を開く。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 2節 米国加州日本移民排斥問題 / 1款 在米日本人会 【第33巻 p.373-387】
・『渋沢栄一伝記資料』第33巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/33.html
島田三郎と新渡戸稲造は在米日本人会に招かれて、8月30日に横浜を出港、カリフォルニアに向かいました。目的は現地における日本人排斥問題の視察と日本の現状紹介で、島田はカリフォルニアだけでなく、中西部、東部へも足を伸ばして視察や講演を行い、約130日の滞在の後、翌1912年1月に帰国しました。また、新渡戸稲造は交換教授として米国東部へ向う予定でしたが、その途上でサンフランシスコを中心に14日間にわたり視察や講演を行っています。(『渋沢栄一伝記資料』第33巻p.373-387参照)
参考:島田三郎(しまだ・さぶろう、1852-1923)
1881(明治14)横浜毎日新聞社に入社、1894(明治27)社長就任。1890(明治23)衆議院議員。労働問題、足尾鉱毒事件などで活躍。
・島田三郎
 〔近代日本人の肖像 - 国立国会図書館
 http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/105.html
新渡戸稲造(にとべ・いなぞう、1862-1933)
教育者。札幌農学校教授、京都帝国大学東京帝国大学教授を経て、1918(大正7)年に東京女子大学長。1920(大正9)年に国際連盟事務局次長。
新渡戸稲造
 〔十和田市立 新渡戸記念館〕
 http://www.towada.or.jp/nitobe/inazo/index.html
  参考文献:『日本人名大辞典』 (講談社, 2001.12)