是より先、駐日イギリス国大使チャールズ・エリオット、及び同商務官エドワード・クロー、日英両国の経済関係を密接ならしむる為め、栄一に、日本実業団の英国訪問を謀る。栄一之に賛成し斡旋す。是日、渡英実業団成立す。団長は団琢磨なり。後、名称を英米訪問実業団と改む。出発に臨み各方面の送別会あり、栄一陪賓としてその多くに出席、送別の辞を述ぶ。右実業団は十月十五日出発す。
出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 7節 其他ノ資料 / 3款 其他外国関係資料 【第40巻 p.507-514】
・『渋沢栄一伝記資料』第40巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/40.html
『渋沢栄一伝記資料』第56巻p.114-116に掲載されている英米訪問実業団帰国歓迎晩餐会での団長・団琢磨による演説には、この一行がアメリカで45日間、イギリスで14日間を過ごしたこと、一部メンバーがフランスを訪れて3日間過ごしたこと、その後は自由行動となり他国を訪問したメンバーもいたことなどが述べられています。
その他、『渋沢栄一伝記資料』中の主な英米訪問実業団関連記事としては、第33巻p.181-200の各種送別会開催記事中に、1921(大正10)年10月6日に東京銀行倶楽部で開催された送別会関連記事が、第35巻p.590-595には1922(大正11)年5月11日に開催された帰朝歓迎晩餐会の関連記事が、そのほか第56巻p.302-311(3編2部7章2節6款 社団法人日本工業倶楽部)にも関連記事が掲載されています。
ちなみに英米訪問実業団が出発する2日前の1921(大正10)年10月13日、渋沢栄一もまた米国に向けて日本を発っています。こちらはワシントンの軍縮会議視察、日米親善等を目的として、堀越善重郎ほか2名の実業家と秘書を伴っての旅でした。