情報資源センター・ブログ

情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 明治2年己巳11月4日[西暦:1869年12月6日] (29歳) 民部省租税正に任ぜられる 【『渋沢栄一伝記資料』第2巻掲載】

是より先本年十月十八日附太政官の弁官より出京す可き旨の命あり。乃ち常平倉の事務を整理し、同月二十六日静岡を発して東京に出で、是日民部省の租税正に任ずる宣旨を拝す。栄一辞意を抱きしも、是月十八日大蔵大輔兼民部大輔大隈重信の説得により其辞意を飜す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 1編 在郷及ビ仕官時代 天保十一年−明治六年 / 2部亡命及ビ仕官時代 / 4章 民部大蔵両省仕官時代 【第2巻 p.208-274】
・『渋沢栄一伝記資料』第2巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/02.html

「租税正(そぜいのかみ)」については『青淵先生伝初稿』(1919-1923年編纂)の「第七章一」に、「租税司の長官で、今の主税局長に相当するものなり」と記されています(『渋沢栄一伝記資料』第2巻p.243)。当時、静岡で常平倉(旧商法会所)運営に携わっていた渋沢栄一はこの任官を不本意とし、上司にあたる大隈重信(おおくま・しげのぶ、1838-1922)に辞意を表明しましたが、逆に大隈に説得され、以降約3年半にわたって明治政府でさまざまな改革を手がけることになります。

実業之世界 第七巻・第五号 第九―一〇頁〔明治四三年三月〕

[前略] 処が大隈伯は黙つて吾輩の言ふ事を暫く聞いて居たが、吾輩の言葉が終ると同時に突然八百万の神達、神計りに計りたまへ、と言ふ文句を知つて居るかと言はれた。[中略] 新しい日本を建設するのが吾々の任務である。だから、今の新政府の計画に参与して居るものは即ち八百万の神達である。其の神達が寄り集まつてこれから如何いふ工合にして新しい日本を建設しやうかと相談の最中なのである、何から手を着けて宜いか分らないのは君ばかりではない、皆分らないのである、これから相談するのである、今の所は広く野に賢才を求めて、之を登用するのが何よりの急務である、君もその賢才の一人として採用されたのだ、即ち八百万の神達の一柱である、[中略] 君も折角八百万の神達の一柱として迎えられたのだから大きな仕事の為めに是非骨を折つて貰い度い。と淳々説かれたのである。吾輩は予め大隈伯が一代の談論家で、多くの人が其舌端に巻き込まれてしまうと言ふ事を聞いて居た、併し何も吾輩は当時の政府に媚びる必要もなければ、要路の人達に諂ふ必要もない、吾輩は自分の思つた事を遠慮なく言ひ通す積りで大隈伯を訪ねたのである。処が、伯のこの奇問に逢ふて辞職を思ひ止まるの余義なきに至つたのである。八百万の神達、神計りに計りたまへと言つた大隈伯の言葉は、今猶忘れることの出来ない極めて妙味ある言葉の一つである。
(『渋沢栄一伝記資料』第2巻p.239)

参考:大隈重信小伝
早稲田大学
http://www.waseda.jp/jp/okuma/story/index.html