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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 1926(大正15)年11月14日 (86歳) 如水会館開館式と寿像除幕式 【『渋沢栄一伝記資料』第44巻掲載】

是より先、如水会館復興建築竣工す。是日、同会創立記念日に当り、同会館に於て開館式を挙行す。栄一出席して祝辞を述ぶ。式終つて如水会の鋳造に係る栄一の寿像除幕式行はる。栄一出席して謝辞を述ぶ。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 5章 教育 / 1節 実業教育[承前] / 2款 東京商科大学付社団法人如水会 【第44巻 p.309-314】
・『渋沢栄一伝記資料』第44巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/44.html

如水会」とは東京商科大学(現一橋大学)卒業生の同窓会で、1889(明治22)年設立の高等商業学校校友会を前身としています。校友会は後に同窓会へと名称を変更、1914(大正3)年には渋沢栄一命名により如水会となりました。「如水会館」は如水会の会員親睦のための施設です。

渋沢栄一は商業教育を重視し、商工業者を蔑視する官尊民卑の風潮を打破するためにも「教育の力に依って商業を尊敬せしめるようにせねばならぬ」(『渋沢栄一伝記資料』第44巻p.305)と述べています。1900(明治33)年、栄一は東京商業高等学校を大学に昇格させるように主張、その後20年を経て1920(大正9)年、同校は東京商科大学へと発展しました。
1917(大正6)年、如水会は栄一の喜寿を記念し、また「恩徳を永遠に記念するの一資料たらしめんが為め」(『渋沢栄一伝記資料』第44巻p.277)に、その胸像を鋳造し如水会館に設置しました。しかし関東大震災により如水会館は焼失、像もその際に失われてしまいました。その後1926(大正15)年に如水会館、胸像ともに再建、11月14日に開館式と除幕式が開催されました。
渋沢栄一伝記資料』第44巻p.313には『如水会会報』第37号(1926.12)からの転載として、除幕式での栄一による挨拶が掲載されています。

[前略] 殆んど感極つて涙を以て感謝するの外ありませぬ。私の胸像を更にお拵へ下すつて、此開館式に併せて除幕をして下さると云ふことは何等の光栄でありませう。[中略] 私は無学でありながら、商業に対しては完全な教育がなければいかぬと云ふことを深く感じまして、此事だけは熱心に思ふた、思ふたばかりでなしに此事に力のある限りを尽したのでございます。是れだけは或は今日も尚斯る光栄を荷ひ得るかと思ひますが、私の其昔の観念が誤らない、此為に九十に近くして大に安んずるやうに思ひます、今此胸像を拝見しますとよく似て居る、江口君の仰しやる通り、私でさへ何方が渋沢か分りませぬ、どうぞお見くらべを戴きたうございます。[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第44巻p.312-313)

なお、この時胸像は2基鋳造され、如水会館のほか、東京商科大学の図書館にも設置されたことが『渋沢栄一伝記資料』第44巻p.321に記されています。
参考:如水会について
如水会公式サイト〕
https://www.josuikai.net/modules/introduction1/index.php?id=101
一橋大学へのあゆみ
一橋大学附属図書館〕
http://www.lib.hit-u.ac.jp/service/tenji/exb-panf.html
渋沢栄一
一橋大学附属図書館所蔵肖像画等コレクション - 一橋大学機関リポジトリ
http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/da/handle/123456789/5328