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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 1907(明治40)年11月18日 (67歳) 大隈重信企画編纂の『開国五十年史』完成披露園遊会 【『渋沢栄一伝記資料』第27巻掲載】

是より先栄一、大隈重信の企劃編纂に係る「開国五十年史」のうち銀行・会社に関する部分を担当執筆す。是日、大隈重信はその完成披露園遊会を早稲田の自邸に開催す。栄一之に臨席し編纂に対する感謝の演説をなす。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 2部 社会公共事業 / 5章 学術及ビ其他ノ文化事業 / 3節 編纂事業 / 3款 開国五十年史 【第27巻 p.487-493】
・『渋沢栄一伝記資料』第27巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/27.html

1907(明治40)年12月、大隈重信の企画編纂による『開国五十年史』の上巻が発行されました。同書下巻(1908.02)では、渋沢栄一が「銀行誌」「会社誌」という2つの項目を執筆しています。
渋沢栄一伝記資料』第27巻p.491-492には『大隈侯八十五年史』(大隈侯八十五年史編纂会, 1926.11-12)からの引用として、『開国五十年史』が企画された経緯、編纂方針、編纂の様子などが紹介されています。

[前略] 君[大隈重信]が総裁となつて『開国五十年史』を編纂した方針は、文化事業の生きた史料を鳥瞰図的に集むるにあつた。或る一つの重要な仕事を担当したその人自らの告白・体験をパノラマ式に配列・按排するにあつた。幸にそれらの局に当つた各方面の有力者が多く現存して、君の主眼とするところは実現に難くはなかつた。[中略] 殊に興趣を添へたのは、徳川慶喜が自ら幕末の状勢を書いたことである。最初、慶喜は謙遜して、再三執筆を辞した。ところが、君が熱心に懇望したので、到頭承諾した。それに伊藤・山県・井上・松方・副島・井上(勝)・前島(密)・渋沢(栄一)・山本(権兵衛)・石黒(忠悳)その他、学界・商工界の有力者が顔を揃へて執筆を担当した。[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第27巻p.492)

また『渋沢栄一伝記資料』第27巻p.487-488には『東京経済雑誌』第56巻第1415号(1907.11)p.959に掲載された「大隈伯五十年史披露園遊会」が紹介され、その中で『開国五十年史』の上巻が1907(明治20)年12月中旬、下巻は翌年の2月に発行、英語版はロンドンのタイムズ社が「印刷発売を引受け、来春には発行」、さらに中国語版も「凡そ同時頃に発行せらるゝ由」、と書かれています。
参考:渋沢栄一書簡 大隈重信宛 明治40年(1907)10月2日 1巻 イ14-B175 04
〔古典籍総合データベース - 早稲田大学図書館〕
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/ga_okuma/list_06.html
開國五十年史 / 大隈重信撰 ; 副島八十六編修 (開國五十年史發行所, 1907-1908)
〔NACSIS Webcat
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN0487167X
Fifty Years of New Japan By Shigenobu Ōkuma, Marcus Bourne Huish
Google Book Search:http://books.google.com/books?id=i8sNAAAAIAAJ&q=shibusawa&pgis=1
Internet Archivehttp://www.archive.org/details/fiftyyearsofnew01okumuoft
Internet Archivehttp://www.archive.org/details/fiftyyearsofnew02okumuoft
Internet Archivehttp://www.archive.org/details/fiftyyearsofnewj01okumuoft